2017年07月11日

亀甲地蔵

久し振りの更新ですが、ちょい地味ネタ…
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この自然石、昔、三津から茶屋に至る
田道の溝にかかっていた石橋とのこと

歯が痛むと、この石の上で呪文を唱えると
痛みがとれたんだそう!

なになに、呪文!?!

明治初めの土地改変で、今の場所に
建てられたそうです@茶屋農協んとこ

亀甲地蔵(きっこうじぞう)、
呪文、わかる方、お知らせください
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2017年05月28日

志ほあいの浦

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志ほあいの浦にとゝめはほとゝぎす
ふたゝびこゑをきかざらめやは 如意

姫宮さん、
つまり二見神社の入口にある石碑です

平安時代末期の文治二年(1186)四月、
東大寺勧請上人・俊乗房重源が
東大寺建立祈祷のため僧侶を率いて神宮に参詣し、
天覚寺(音無山の)に5日間宿泊

そのときに、二見の景観を褒め称え
つくられた歌の、ひとつです

天覚寺遊興の歌の、ひとつです

塩合の浜にとどめば時鳥
二たび声をきかざらめやは ※『二見文化誌』38頁
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2016年10月29日

生浦月#林春信

生浦といっても鳥羽ではなく
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「いけのうら」の池の浦に
林春信の詩碑があります
  生浦千里水
  溶々流不窮
  却疑梨花発
  月白夜来風
林春信は江戸前期の儒学者で
林羅山の孫とか(石碑には三男)

夫婦岩の秋冬の月もいいですが
池の浦の月もまたよろし

この池の浦は、「大神宮本記」に
「大神伊須々の宮に鎮りましましし後
 倭姫命、志摩国を巡覧し給いて・・・・・
 淡良伎島より南に入る江湾は常に風なく
 波穏やかにして、池水の如くなるを以て
 『伊気の浦』とは名づけ給ひきぞ」
と記されています
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粟皇子さんの海です
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2015年10月31日

二見浦浴潮場石表銘

二見浦浴潮場石表銘
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賓日館入口、向かって右側に立つ石碑です。

明治十八年四月の日付で二見浦海水浴場を称える漢詩文が刻まれています。
現在の厚生労働省にあたる内務省衛生局、初代局長長与専斉の作、書。

明治十五年十月十九日付で二見浦が全国初の公認海水浴場となります。
この当時の海水浴というのは今でいう湯治治療のようなもので、
海に浸かる冷浴と海水を沸かして入る温浴でもって
心身のリフレッシュを図る目的があったそうです。

海に浸かる冷浴(海水浴)は岩石が露出した磯のほうが
波の作る飛沫、白泡で皮膚が摩擦されるのでよいと考えられていて、
夫婦岩のある立石崎が最適とされました。
そして今の興玉神社社務所脇に温浴槽四個が設けられてたといいます。

ちなみに今の興玉神社ができるのは明治三十年です。

しかし、当時の茶屋の旅館街は
今の赤福から松風軒、松風軒より茶屋の町中へ入る道沿いを
今の社協二見支所手前あたりまでで、
宿から海水浴地まで1km近くあった上、
立石崎にいたる道も今の興玉神社参道のように
整備されてなく不便だったため
海水浴場は明治十七年、立石崎手前、
賓日館の前あたりの砂浜へ移転されます。

この時、現在の御福餅向かい、菊一文字の地で
旅籠屋をしていた若松屋
(旧二見館、現在の賓日館を有した旅館)
は海水浴場が立石崎手前の砂浜へ移転されるのを機に
現在の賓日館の地へ進出し、二見館を開業します。

「二見浦浴潮場石表銘」の石碑が賓日館入り口脇に立つのは
そのような所以があるためです。
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2015年10月13日

獲鯢誌

ちょうどシーパラダイスの向かいの山肌に
江地区の墓地があります。
その墓地入り口、通称「江の地蔵さん」の脇にある
小さな石碑「獲鯢誌」

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二見町史によると、
明治29年12月29日、北條の浜にクジラが入り込み、
村中総出で捕獲する、江地蔵境内にこの碑「獲鯢誌」を建てる、
とあります。

北條の浜は今の江に流れる五十鈴川派川の河口
ちょうど国道の橋が架かっているあたり。

石碑の後半部分に

けだし鯨鯢に数種あり、
ここに獲れるは俗称座頭、
その長さ六尋なり。
すこぶる益得あり、
よりてその功績を永世に留めんと欲し、
石を勒(きざ)み且弔祭して云う
(二見町史)。

とあります。

一尋は約1.5mなので、六尋、およそ9mの
ザトウクジラ、だったらしいですね。

子供のころから江の墓へ行くと
鯨の墓やで拝んどきないな
といつも線香たててました。
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2014年11月25日

高城神社にて

御遷座を終えた高城神社は
社殿がピカピカ
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鳥居も新しい参道に歌碑一つ
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夕霧のゆふへの風の吹はらひ
月澄みのぼる高城の浜
   一権禰宜 慶彦

浜からお月さん、風流ね

毎年9月13日には外宮の禰宜が
高城浜(今一色)で禊ぎをしていたそう
明治4年までの出来事です

高城浜は長官浜とも呼ばれたそうな

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posted by 浜参宮観察隊 at 06:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 気になる石碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月16日

かえるのうた

清水みのるさんは日本の作詞家
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二見にこうゆうのつくってくれてたんですね


かえる かえる 二見のかえる
なぁにがかえる なんでもかえる
ふしぎとかえる かえるかえる

清水みのる=1903(明治36年)ー1979(昭和54年)
静岡県浜名郡伊佐見村(現・浜松市西区伊左地町)生まれ
旧制浜松中学、立教大学英文科卒
サトウハチローを作詩の先輩として師事します
「星の流れに」「月がとっても青いから」などの作品あり

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二見の海も空も抜群の秋日和
posted by 浜参宮観察隊 at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 気になる石碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月08日

遷宮行事の救世主

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夕刻訪れた荘の墓地

これは、鯨のお墓

明治36年のお木曳の年
(第57回式年遷宮が明治42年)

旧正月七日に荘の北浜海岸に
打ち上げられた雌鯨を入札にかけたところ
答志村が261円60銭の高値で落札

ちょうどお木曳の資金調達に苦労していたとき
降って沸いた鯨に村一切の費用と法被代を
助けられました

鯨!バンザイ!!

村ではこの救主を忘れないようにと
墓に「大海鯨」の碑を建立

享年三歳とあります
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ちなみに法被代金の内訳は・・・
上着1円37銭 下着1円23銭 
水上チョッキ25銭 腹掛42銭 帽子20銭

当時の農家の日当は
田植賃7銭(昼夕食付)田鍬20銭だったそう

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隣の小さいのは亀石とか、、、

(※HHさん、ありがとうございます)
posted by 浜参宮観察隊 at 04:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 気になる石碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月25日

御塩殿にて手水?

23日は神嘗祭の堅田巡回、でも
雨のため、巡回は中止でした

えらく風吹いて境内も葉っぱまみれでしたが…

翌朝、24日の朝、御塩殿
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すっかり箒の跡、踏めないっ、この小径

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喜多井さん、早くから境内ぜーんぶお掃除です

喜多井さんの前は、ながーく吉居さんが
ご奉仕されておったのですが。。。
http://hamasanguu.seesaa.net/article/35423236.html
慶応元年(1865)9月の「御塩殿神事行書」によると、
神主(喜多井)と神役人一〇人で祭事が行われている、とな!

喜多井さんちも、その血筋なのね


鳥居を入ってすぐにある
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御塩殿の手水?

石碑、ですよね、なんか刻まれてる
(むりやりシリーズ)
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大坂住貳本松町
願主伊勢屋■

古文書クラブ、ちゃんと出席せねば、、、


posted by 浜参宮観察隊 at 01:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 気になる石碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月21日

三津のお墓

三津のお墓の入口です
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真ん中は三界萬霊塔
 三界とは欲界、色界、無色界の3つの世界
 万霊とは欲、色、無色界の
 有情無情の精霊等のあらゆる世界

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よくみると六地蔵さん
 これは地蔵菩薩が六道を巡って救済する姿
亡者を救済し浄土に送り届けると信じられ
 寺院・墓地の入り口などに六体の地蔵を
 立てるようになりました

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五色旗の揺れるお盆のお墓は
なんとなく安堵感
posted by 浜参宮観察隊 at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 気になる石碑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする