2016年05月24日

御座石

県営アリーナから少し西へ行ったあたり
五十鈴川の二見側に
干潮になると現れる
細長い岩があります。
image-c7d44.jpeg

この岩を御座石(ございわ)と言って
倭姫宮がここで休憩された
という伝説があります。

明治になるまで
内宮の神官が神前海岸で
行っていた贄海神事では
神事で取った海藻などを
持ち帰る時、
この岩の前で船を泊め
祝唄を歌っていたそうです。

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2009年12月05日

二見の名物岩/割石

二見町溝口の神宮御園を右手に見ながら
さらに奥へと進んでいくと
JRを潜って五十鈴川に出ます

(JRを潜る高架、めっちゃ狭いです)
(軽自動車で車幅いっぱいいっぱいです)

大昔から変わらないであろう風情ある風景を見ながら
五十鈴川沿いに進んでいくと…
目の前に大きな岩が現れます
PB272737.jpg

これが本日の主人公、割石(われいし)です
(破石、とも書きます)

高さ5.03m、周囲19.5mの大きさで
中央が真縦にわれているのでこの名があります
PB272739.jpg


学術上は角閃岩(かくせんがん)という種類の岩石です

縄文時代前期の約6,000年前ごろは海面が
今より3〜5メートル高かったと言われいます
(貝塚が内陸部でも発見されてるので…)

そのころ波の作用で削られた離れ岩の割れ目に樹木が生え
根の成長とともに割れ目を拡大させ、その後樹木は枯滅したため
このような「割れ石」になったといわれています



鎌倉時代後期に女西行と呼ばれた後深草院二条は
1290年ごろ二見浦を訪れ、
いかづちのけさき給えるいしなど見るより
と書き残しています

この「雷の蹴裂き給いける石」が割石のことと推定されています

またこの辺りは昔、内宮長官の禊場があったので
長官浜ともいわれていたそうです
PB272749.jpg


ちなみに外宮の長官浜は、今一色にある高城浜です
二見十景シリーズ・五「高城浜」
http://hamasanguu.seesaa.net/article/30578557.html


割石では第二次世界大戦後に廃れるまで
毎年11月頃ボラの漁が行なわれ「割石の鰡漁」と呼ばれていました

多数の漁舟が号砲を合図に我先に飛び出す様は本当に壮観で
これを見ようと沢山の観衆が両岸に集まったらしいです



観察隊Yがチビの頃はよくここへ来て
割石に登って遊んでいました

今では訪れる人もほとんどなく
静かなこの辺りは、カモの楽園でした
PB272750.jpg


割石はここ!
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2008年03月18日

二見の名物岩/硯岩

硯岩
高さ5mもある巨岩で上部に凹んだ水たまりがあって年中干上がった事がない。雨乞いの時はこの水を汲み取ると雨が降ると伝えられ、伊勢の三郎が手習いをした所として、わらじの跡も残っている。伊賀の松尾芭蕉が 「硯かとひろうやくぼき石の露」 と詠み有名になった
昭和63年発行二見町史より


三津地区の南端…
ちょうどJR二見浦駅の裏辺りから見た
音無山の端っこです

三津の南端です

田んぼのあぜ道を進んでみましょう

田んぼの端、山裾には溝が流れてますが…

親切な丸太橋

親切な丸太橋をえいやッ!と飛び越え
そのまま山へと入っていきます

ちょっと斜面でおっととと言いつつ
すこし雑木と戯れつつ…
ひたすら突き進みます

登ることわずか数十メートル…

突然眼前に大きな岩が現れます
おおっ!と思わず口走る大きさです

おぉぉ

この岩が通称 『硯岩』 という
二見の名物岩のひとつです

岩を回り込むように山を登ると
上にでられます

硯岩の上

ちょうど斜面から突き出ているかのこの硯岩
岩の上はちょっとした舞台のようです

前の木がなければ海がきれいに見えます

海が見えるんだ!

実際、古い絵葉書を見ると
この硯岩の上で景色を眺めている人の写真があります
しかも下駄履きで!

(その絵葉書、手元にはないです)

(すいません)


さてさて、この岩、何ゆえ硯岩?…

引用の町史にもあるように
岩の真ん中あたりに窪みがあり
そこに水がたまっているんです

窪んでいるんです

不思議なことにこの水は
枯れることがないんですと…

窪みの形がちょうど硯を連想させます


源義経の家来に伊勢三郎義盛という武将がいました
伊勢 義盛(いせ よしもり、生年不詳 - 文治2年7月25日(1186年8月11日))は、平安時代末期の武士で源義経の郎党。諱は能盛とも。通称は三郎、江三郎。(wikipedia より引用)

伊勢三郎義盛の通称名に『江三郎』とありますが
この『江』というのが二見の江地区のことをいう、との説があります

実際音無山には伊勢三郎にまつわる旧跡が何箇所かあり
地元では今でも音無山のことを『三郎山』とも呼びます

この硯岩もそんな伊勢三郎にまつわるもので
町史にもあるように
三郎が実際硯代わりに使っていた…
というお話が伝わっています

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●硯岩は ここ! (マップファンへのリンク)

硯岩への上り口からみた三津地区です

硯岩上り口

田んぼに伸びるあぜ道が
このページ最初の写真のあぜ道、
地図の中のあぜ道になります
網が張ってあるグラウンドは
三津地区ゲートボール場

これが目印!

…ちなみに硯岩をもう少し登ると
ちょっとした尾根で
それを越えると伊勢・安土桃山文化村に入っちゃいます…
posted by 浜参宮観察隊 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 巨石シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする