年末に目指したお山は、三輪山
桜井に来ました
狭井神社で受付してもらって登拝
第10代崇神天皇の代まで同床共殿でしたが
皇女の豊鍬入姫命は天照大御神の鎮まる
相応しい場所を探すよう命じられました
第11代垂仁天皇の第四皇女・倭姫命に
その責を引き継ぎがれたといわれるのが
「弥和乃御室嶺上宮」みわのみむろのみねのうえのみや
今年は、お参りできました
巻向へ歩き、箸墓古墳にも立ち寄り
第7代孝霊天皇皇女で倭迹迹日百襲姫命
やまとととびももそひめのみことの伝承地
崇神天皇の御代に神意を伝え
天皇のまつりごとを助けたお方
2023年12月31日
2023年11月19日
2017年01月26日
倭の笠縫邑へ
倭姫命ではないですが…
豊鍬入姫命を追って檜原(ひばら)神社へ@三輪
檜原神社は大神(おおみわ)神社の摂社で
御祭神は、天照大御神・伊奘諾尊・伊奘冊尊
檜原の地は、第10代崇神天皇の代、
皇女・豊鍬入姫命が天照大御神を初めてお祀りされた
倭の笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)です
ここ檜原神社は元伊勢
日本書記によれば、崇神天皇の代に国中に疫病が流行り
崇神天皇は天照大御神と倭大国魂神という二つの神様を、
宮中にて人と同じ場所でお祀りしているのが原因だと考え、
天照御大神を豊鍬入姫命に託して倭の笠縫の邑に、
倭大国魂神を渟名城入姫命に託して大和神社に遷し祀られたと伝わります
しかし天照大御神はその後諸処を転々とし、
豊鍬入姫命の遺志を継いだ第11代垂任天皇の皇女・倭姫命が、伊勢に到着
五十鈴川上流に大御神を祀られたことが伊勢神宮の創祀といわれています
三ツ鳥居は明神型の鳥居を3つ組み合わせた形
別名・三輪鳥居ともいわれ
本殿に代わるものとして神聖視されていて
大神神社にも三ツ鳥居があります
第62回式年遷宮を終えた別宮倭姫宮の
参道鳥居に使われていた古材を譲り受け建て直されました
檜原神社の境内には豊鍬入姫命を祀る
豊鍬入姫宮が建っています(創祀は昭和61年11月5日)
山辺の道沿いにあり、その道を辿ると大神神社・狭井神社が
つづく・・・
豊鍬入姫命を追って檜原(ひばら)神社へ@三輪
檜原神社は大神(おおみわ)神社の摂社で
御祭神は、天照大御神・伊奘諾尊・伊奘冊尊
檜原の地は、第10代崇神天皇の代、
皇女・豊鍬入姫命が天照大御神を初めてお祀りされた
倭の笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)です
ここ檜原神社は元伊勢
日本書記によれば、崇神天皇の代に国中に疫病が流行り
崇神天皇は天照大御神と倭大国魂神という二つの神様を、
宮中にて人と同じ場所でお祀りしているのが原因だと考え、
天照御大神を豊鍬入姫命に託して倭の笠縫の邑に、
倭大国魂神を渟名城入姫命に託して大和神社に遷し祀られたと伝わります
しかし天照大御神はその後諸処を転々とし、
豊鍬入姫命の遺志を継いだ第11代垂任天皇の皇女・倭姫命が、伊勢に到着
五十鈴川上流に大御神を祀られたことが伊勢神宮の創祀といわれています
三ツ鳥居は明神型の鳥居を3つ組み合わせた形
別名・三輪鳥居ともいわれ
本殿に代わるものとして神聖視されていて
大神神社にも三ツ鳥居があります
第62回式年遷宮を終えた別宮倭姫宮の
参道鳥居に使われていた古材を譲り受け建て直されました
檜原神社の境内には豊鍬入姫命を祀る
豊鍬入姫宮が建っています(創祀は昭和61年11月5日)
山辺の道沿いにあり、その道を辿ると大神神社・狭井神社が
つづく・・・
2011年11月19日
瀧原宮
敬意を表し。。。瀧原宮へ。。。
第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命が
天照大神をおまつりする地を求め
各地を訪れた際「大河の瀧原の国」
という美しい場所があったので
そこに新宮を建てました
それが現在の瀧原宮
大内山川支流の頓戸川
ここで手と口を清めます
五十鈴川っぽい・・・
内宮の神域にも様子が似てる瀧原宮
そろそろ紅葉が美しい季節
伊勢神宮内宮の別宮で
天照坐皇大御神御魂
(あまてらしますすめ
おおみかみのみたま)がご祭神 ※ルビ長ぁっ
お社は4つ
「遙宮」と呼ばれ
元伊勢のひとつでもあります
のちに大神の神意により
倭姫命は再び伊勢へ向われたので
瀧原に留まったのはさほど長くはなかったとか
西国三十三所巡礼を志す人々が
熊野第一番札所「青岸渡寺」を目ざし
歩んだ熊野街道が瀧原宮の前を通ります
かつて、茶屋はにぎわったでしょね
峠を越え、人々は歩きました
第11代垂仁天皇の皇女・倭姫命が
天照大神をおまつりする地を求め
各地を訪れた際「大河の瀧原の国」
という美しい場所があったので
そこに新宮を建てました
それが現在の瀧原宮
大内山川支流の頓戸川
ここで手と口を清めます
五十鈴川っぽい・・・
内宮の神域にも様子が似てる瀧原宮
そろそろ紅葉が美しい季節
伊勢神宮内宮の別宮で
天照坐皇大御神御魂
(あまてらしますすめ
おおみかみのみたま)がご祭神 ※ルビ長ぁっ
お社は4つ
「遙宮」と呼ばれ
元伊勢のひとつでもあります
のちに大神の神意により
倭姫命は再び伊勢へ向われたので
瀧原に留まったのはさほど長くはなかったとか
西国三十三所巡礼を志す人々が
熊野第一番札所「青岸渡寺」を目ざし
歩んだ熊野街道が瀧原宮の前を通ります
かつて、茶屋はにぎわったでしょね
峠を越え、人々は歩きました