かつて木曽の御杣山を切り出された御用材は
木曽川を下り伊勢湾に出、筏に組まれて伊勢まで来たといわれます。
伊勢に着いた御用材は大湊にあった貯木場に一度集められ
その後宮川から外宮へ五十鈴川から内宮へと運ばれました。
大湊はそういや宮川にも五十鈴川にも直接入れますね。
大湊の貯木場は埋め立てられ現在の大湊小学校などになっています。
以前ぽくぽくと散策しました。
以前→http://hamasanguu.seesaa.net/article/42984948.html
宮川の貯木場はお木曳の時どんでん場のところにありましたね
http://hamasanguu.seesaa.net/article/18175915.html
もちろんこれは雰囲気を出すため(?)一時的に再現されたもの。
実際の貯木場跡の石碑は度会橋東詰め北側の駐車場下にひっそり立ってます。
ところで…
大湊を五十鈴川へと向かった御用材を集めた貯木場は?
お木曳の頃からの疑問でした。
お木曳から二年もたって
世間は宇治橋渡始式のことで盛り上がりつつある今日この頃
たまたま散策してたら偶然見つけました。
今更ですが…
場所は鹿海町から朝熊町へと抜ける道
五十鈴川にかかる堀割橋
掘割橋東詰から下流へ堤防を200m歩くと
五十鈴川と朝熊川が合流する所に看板が
ここに御用材の貯木場があり、本来の内宮領川曳は
貯木場から五十鈴川をさかのぼったそうです
堀切橋から五十鈴川を眺めると…
なにやら川の中に石組みが一直線に続いてます
橋の下にも明らかな…
これが往時の、五十鈴川と貯木場を仕切った跡だそうで
橋の少し上から貯木場看板のあるあたりまで
延々数百メートル続いてます
--------------------------------------------------
ところで貯木場看板の脇
五十鈴川と朝熊川の合流でできた砂嘴の上には
皇大神宮末社の鏡宮神社があります
また鏡宮神社の砂嘴を見ながら脇にある
人一人が歩ける小さな橋を渡ると
小さな山の山裾に石段があります
その石段を登るとそこには
内宮摂社の朝熊神社と朝熊御前神社の双つ並びのお社が
朝熊山を仰ぎ見る五十鈴川と朝熊川と二つの流れの
とても静かでのどかな田園風景の雰囲気に
思わず時間が過ぎるのも忘れ
しばらくぼーっとしておりました
■関係地図
赤フラッグが貯木場跡、黄フラッグは堀切橋
緑と青フラッグはそれぞれ鏡宮神社に朝熊神社
2009年10月24日
2009年07月12日
ええじゃないか行脚隊参上
2009年02月12日
山田奉行所記念館
今日は山田奉行所記念館に
行ってみました
山田奉行所とは・・・
江戸時代に幕府が伊勢国に置いた遠国奉行、
言わば幕府の出張所の一つです
その仕事は、伊勢神宮の警備・遷宮の監督・
伊勢国の幕府領の支配・鳥羽港の監視など
場所は伊勢市御薗町上條
2005年の5月にオープン
昔の奉行所の一部を再現していて
白木が美しくとても素敵な建物です
奉行所で罪人を調べるお白州
で、山田奉行所、といえば・・・
花房志摩守幸次さん!
箕獅子が展示されてます
「第七代奉行所花房志摩守とこの地」の特別展を
2月11日から3月30日までやってます
二見の画家・中村左州の描いた
ユーモラスな箕獅子
二見郷6ケ村は古くから神領の地でありましたが
戦国期に鳥羽城主九鬼氏に押領されていました
住民の声を聞き、花房奉行が斡旋、将軍家光は、
二見郷6ケ村2,132石を両宮に寄進しました
後に郷民はその恩徳を称え、供養碑を建立
ゆかりの箕獅子を舞って、花房志摩守を
偲んでいます
梅香る季節に
どうぞおでかけください
午前9時から午後4時
入館料無料です
★↓あっこないだやった箕獅子特集もどうぞ↓★
http://hamasanguu.seesaa.net/article/112861911.html
行ってみました
山田奉行所とは・・・
江戸時代に幕府が伊勢国に置いた遠国奉行、
言わば幕府の出張所の一つです
その仕事は、伊勢神宮の警備・遷宮の監督・
伊勢国の幕府領の支配・鳥羽港の監視など
場所は伊勢市御薗町上條
2005年の5月にオープン
昔の奉行所の一部を再現していて
白木が美しくとても素敵な建物です
奉行所で罪人を調べるお白州
で、山田奉行所、といえば・・・
花房志摩守幸次さん!
箕獅子が展示されてます
「第七代奉行所花房志摩守とこの地」の特別展を
2月11日から3月30日までやってます
二見の画家・中村左州の描いた
ユーモラスな箕獅子
二見郷6ケ村は古くから神領の地でありましたが
戦国期に鳥羽城主九鬼氏に押領されていました
住民の声を聞き、花房奉行が斡旋、将軍家光は、
二見郷6ケ村2,132石を両宮に寄進しました
後に郷民はその恩徳を称え、供養碑を建立
ゆかりの箕獅子を舞って、花房志摩守を
偲んでいます
梅香る季節に
どうぞおでかけください
午前9時から午後4時
入館料無料です
★↓あっこないだやった箕獅子特集もどうぞ↓★
http://hamasanguu.seesaa.net/article/112861911.html
2009年01月17日
内宮への地下道
2008年05月26日
遷宮企画展@おかげ横丁
2008年03月31日
大神宮前…
図書館へ向かう八日市場あたり
目に飛び込んできたのは
この看板っ
大神宮前?
駅の看板みたい…
=============================================
時の元号が大正から昭和に変わった頃のお話…
明治末期に開通した国鉄参宮線しかなかった伊勢神宮への鉄道は
参拝客の鉄道需要増加見込みに対して
新たに名古屋からと大阪からの私鉄鉄道敷設が計画されました
大阪からの私鉄が 『参宮急行電鉄(参急)』、
名古屋方面からの私鉄が 『伊勢電気鉄道(伊勢電)』 です
大阪から来る参急は
上本町から桜井を経て伊賀盆地を抜け
青山峠にトンネル(旧青山トンネル)を掘り
終点の宇治山田駅まで大阪から最速2時間で着く
という当時としては驚異的なスピードの列車を走らせます
この参急が後の近鉄大阪線・山田線になります
ちなみに上本町-宇治山田間を2時間というのは
現在の近鉄・快速急行とほぼ一緒です
70年前に現在の快速急行並みの列車を走らせていた
というのはすごいです
さて、飛ぶ鳥を落とす勢いの参宮急行鉄道に対し
桑名発祥の伊勢電気鉄道は昭和5年に伊勢まで路線を延ばし
次に名古屋へと伸ばす計画をしていました…
が、
世界恐慌のあおりや木曽三川橋梁に絡む汚職事件をおこし
経営に行き詰まり、結局参宮急行鉄道に吸収され
現在の近鉄名古屋線の元になっています
=============================================
さてさて、今の宇治山田駅が
当時の参急の終点ですが
では伊勢電の終点はどこだったかというと
それが 『大神宮前駅』 だったというわけです
伊勢電の伊勢-松阪間(大神宮前-新松阪間)は
昭和17年に廃止され、現在のNTTは大神宮前駅跡地になります
そして、図書館、宇治山田高校前を行く道は
伊勢電気鉄道の線路跡です
山高の下をくぐる天神丘トンネルも
元は電車用のトンネルです
この天神丘トンネルを出た、旧ぎゅーとら二俣店跡近くに
『やまだにしぐち』 の駅表示発見!
表示板によると
大神宮前と山田西口の間に 『常磐町』 駅が
あることになりますが…
どこだか分かりませんでした、はい
武道館前あたり、宇治山田高校前バス停付近の道幅が
そのあたりだけ若干広くなっているので
たぶん、そこ辺りが 『常磐町』 駅跡でしょうか?
さて、 『山田西口』 駅を出ると
もう一つ秋葉山トンネルをくぐります
今は車が走るこのトンネルも昔は電車が走っていたトンネルです
(ちなみに、トンネル2つとも…)
(20年ほど前に道路用へとかなり改良され…)
(鉄道時代の面影はありません)
秋葉山トンネルを出るとすぐ宮川で
道路は南島線の 『論出T字路交差点』に出ます
伊勢電気鉄道はここから宮川を渡っていました
南島線の脇道を行くと論出交差点下に
宮川に橋梁をかけていた基礎部分が残っています
宮川を渡り終えた伊勢電気鉄道の線路跡は
今の県道37号鳥羽松阪線(旧23号線)になります
ちなみに、今の県道37号鳥羽松阪線はその昔
参宮道路といって、日本初の有料道路でした
-----------------------------------------------------
いきなりですが、パチンコ・カクテルや
ケンタッキーがあるあたりを松阪方面から
松阪から来るとこのあたりで
道路は若干左カーブを切って
度会橋へと伸びていきますよね
しかし松阪方面からきた電車は
まっすぐ宮川鉄橋へと線路を延ばしていました
実際、まっすぐ進んでいたあたり…
ちょうど古川書店度会橋店の真裏の田んぼには
コンクリートのカタマリがあります
これ、伊勢電の橋脚跡です
そしてガストの横に流れる小川…
県道から南へ小川を200メートルほど遡ると
そこにも…
小川を渡る橋梁の基礎跡です
ちょっと地図をリンクさせときます
スタートはNTT、元大神宮前駅です
この地図、左方向へスクロールしてってくださいな
■地図です
地図をずんずん進めると
図書館、武道館前から山高の下を天神丘トンネルでくぐり
もひとつ秋葉山トンネルをくぐり
論出の交差点から先(もちろん道はないですが)
そのまままっすぐにスクロールして行ってみてください
洋服の青山、古川書店の裏道へ出て
ケンタッキー裏を通り日野自動車前で県道37号に吸収されていきます
これらすべてが伊勢電の線路跡になります
(日野自動車の前の道がちょこっとだけ出っぱってる)
(ここが合流点です)
この先、伊勢電は
櫛田川からまっすぐ松阪市内へ
今の通称 『近鉄道路』 を通って
三雲から津への迂回路…
23号線の一本西側、田んぼの中の道を通り
サンバレーの裏を通り、藤方の交差点で23号線を渡り
結城神社の前の道を通り、岩田川を渡り
(ここの橋が鉄道の橋そのままにアスファルトをひいてます)
江戸橋まで今の近鉄に併走するように走っていました
そんな、かつての電車跡…、のお話でした
目に飛び込んできたのは
この看板っ
大神宮前?
駅の看板みたい…
=============================================
時の元号が大正から昭和に変わった頃のお話…
明治末期に開通した国鉄参宮線しかなかった伊勢神宮への鉄道は
参拝客の鉄道需要増加見込みに対して
新たに名古屋からと大阪からの私鉄鉄道敷設が計画されました
大阪からの私鉄が 『参宮急行電鉄(参急)』、
名古屋方面からの私鉄が 『伊勢電気鉄道(伊勢電)』 です
大阪から来る参急は
上本町から桜井を経て伊賀盆地を抜け
青山峠にトンネル(旧青山トンネル)を掘り
終点の宇治山田駅まで大阪から最速2時間で着く
という当時としては驚異的なスピードの列車を走らせます
この参急が後の近鉄大阪線・山田線になります
ちなみに上本町-宇治山田間を2時間というのは
現在の近鉄・快速急行とほぼ一緒です
70年前に現在の快速急行並みの列車を走らせていた
というのはすごいです
さて、飛ぶ鳥を落とす勢いの参宮急行鉄道に対し
桑名発祥の伊勢電気鉄道は昭和5年に伊勢まで路線を延ばし
次に名古屋へと伸ばす計画をしていました…
が、
世界恐慌のあおりや木曽三川橋梁に絡む汚職事件をおこし
経営に行き詰まり、結局参宮急行鉄道に吸収され
現在の近鉄名古屋線の元になっています
=============================================
さてさて、今の宇治山田駅が
当時の参急の終点ですが
では伊勢電の終点はどこだったかというと
それが 『大神宮前駅』 だったというわけです
伊勢電の伊勢-松阪間(大神宮前-新松阪間)は
昭和17年に廃止され、現在のNTTは大神宮前駅跡地になります
そして、図書館、宇治山田高校前を行く道は
伊勢電気鉄道の線路跡です
山高の下をくぐる天神丘トンネルも
元は電車用のトンネルです
この天神丘トンネルを出た、旧ぎゅーとら二俣店跡近くに
『やまだにしぐち』 の駅表示発見!
表示板によると
大神宮前と山田西口の間に 『常磐町』 駅が
あることになりますが…
どこだか分かりませんでした、はい
武道館前あたり、宇治山田高校前バス停付近の道幅が
そのあたりだけ若干広くなっているので
たぶん、そこ辺りが 『常磐町』 駅跡でしょうか?
さて、 『山田西口』 駅を出ると
もう一つ秋葉山トンネルをくぐります
今は車が走るこのトンネルも昔は電車が走っていたトンネルです
(ちなみに、トンネル2つとも…)
(20年ほど前に道路用へとかなり改良され…)
(鉄道時代の面影はありません)
秋葉山トンネルを出るとすぐ宮川で
道路は南島線の 『論出T字路交差点』に出ます
伊勢電気鉄道はここから宮川を渡っていました
南島線の脇道を行くと論出交差点下に
宮川に橋梁をかけていた基礎部分が残っています
宮川を渡り終えた伊勢電気鉄道の線路跡は
今の県道37号鳥羽松阪線(旧23号線)になります
ちなみに、今の県道37号鳥羽松阪線はその昔
参宮道路といって、日本初の有料道路でした
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いきなりですが、パチンコ・カクテルや
ケンタッキーがあるあたりを松阪方面から
松阪から来るとこのあたりで
道路は若干左カーブを切って
度会橋へと伸びていきますよね
しかし松阪方面からきた電車は
まっすぐ宮川鉄橋へと線路を延ばしていました
実際、まっすぐ進んでいたあたり…
ちょうど古川書店度会橋店の真裏の田んぼには
コンクリートのカタマリがあります
これ、伊勢電の橋脚跡です
そしてガストの横に流れる小川…
県道から南へ小川を200メートルほど遡ると
そこにも…
小川を渡る橋梁の基礎跡です
ちょっと地図をリンクさせときます
スタートはNTT、元大神宮前駅です
この地図、左方向へスクロールしてってくださいな
■地図です
地図をずんずん進めると
図書館、武道館前から山高の下を天神丘トンネルでくぐり
もひとつ秋葉山トンネルをくぐり
論出の交差点から先(もちろん道はないですが)
そのまままっすぐにスクロールして行ってみてください
洋服の青山、古川書店の裏道へ出て
ケンタッキー裏を通り日野自動車前で県道37号に吸収されていきます
これらすべてが伊勢電の線路跡になります
(日野自動車の前の道がちょこっとだけ出っぱってる)
(ここが合流点です)
この先、伊勢電は
櫛田川からまっすぐ松阪市内へ
今の通称 『近鉄道路』 を通って
三雲から津への迂回路…
23号線の一本西側、田んぼの中の道を通り
サンバレーの裏を通り、藤方の交差点で23号線を渡り
結城神社の前の道を通り、岩田川を渡り
(ここの橋が鉄道の橋そのままにアスファルトをひいてます)
江戸橋まで今の近鉄に併走するように走っていました
そんな、かつての電車跡…、のお話でした
2008年03月19日
一色能
2008年02月06日
2月6日赤福再び…
2007年10月16日
朝熊山!
10月に入り、暑さもようやく一段落
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」
ということで、朝熊山へいざ!
午前9時過ぎ、朝熊岳道を登り始め、
22ある町石(9、10は道中にありません)を
数えつつ、ヘトヘトになり朝熊峠に到着
岳道を登り終えたところには、かつて旅館が
賓日館の大広間が120畳ですから、
相当な大きさの旅館だったと想像できます
現在は基礎や残骸がほんの少し残ってるだけ
地元の人の話によれば、当時この旅館から
麓の四郷小学校まで歩いて通っていた児童も
いたそうな…
そこから歩くこと数十分、ようやく山頂の広場に到着
ここは、二見からもよく見えるテレビ塔があります
写真は2006年より地デジ用に運用が開始された
中継用設備ですわ
広場から二見方面を見てみると…
ホンマええ天気ですな
少し奥まって、八大龍王尊をおまつりしている
八大龍王社
手前の龍王池は、かつて竜が天に昇るという伝説から
雨乞いの行事が盛んに行われていたそうです
岳道とは反対の方へ少し下ると金剛證寺
重要文化財の本堂です
ここは、関ケ原の戦いから敗走した後に答志島で自刃した
九鬼嘉隆のゆかりの寺でもあります
(九鬼嘉隆… 熊野水軍… 次は熊野詣!?)
時刻も午後になってきたので、同じルートで下山
途中、かつてのケーブルカーとの交差する橋で小休止
見上げるとかろうじてトンネルが見えます
見下ろすと…
かつての平岩駅(麓の駅)跡はとても見えませんな(汗
ところで、今回気付いた点が一つ
実は山頂広場が三角点ではありませんでした
写真をご覧あれ
この記述から地図を追っていくと
どうやらケーブルカーの山上停車場跡の付近のようです
かつての栄華をほんの少し垣間見た気がしませんか?
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」
ということで、朝熊山へいざ!
午前9時過ぎ、朝熊岳道を登り始め、
22ある町石(9、10は道中にありません)を
数えつつ、ヘトヘトになり朝熊峠に到着
岳道を登り終えたところには、かつて旅館が
朝熊岳とうふ屋旅館跡
このあたりの屋敷跡は朝熊山唯一の旅館であった『とうふ屋(東風屋)』の 跡です。
晩年、大井幸太郎氏が経営した旅館で、当時は全国に知られた宿でありました。
創業は江戸期。大正14年に新築され、朝熊山唯一の旅館として本館と別館があり、本館は100畳敷の大広間もあって団体宿泊に備えました。別館は客室十数室の他に写真の暗室も設け、食堂は和洋食を整え、志摩や鳥羽の新鮮な魚介類を豊富に使ったメニューでした。
昭和19年、ケーブルカーの廃止と共にさびれ、茶店を主に臨時営業をしていましたが、昭和39年2月18日の火災によって本館、別館ともに焼失しました。(案内板より)
賓日館の大広間が120畳ですから、
相当な大きさの旅館だったと想像できます
現在は基礎や残骸がほんの少し残ってるだけ
地元の人の話によれば、当時この旅館から
麓の四郷小学校まで歩いて通っていた児童も
いたそうな…
そこから歩くこと数十分、ようやく山頂の広場に到着
ここは、二見からもよく見えるテレビ塔があります
写真は2006年より地デジ用に運用が開始された
中継用設備ですわ
広場から二見方面を見てみると…
ホンマええ天気ですな
少し奥まって、八大龍王尊をおまつりしている
八大龍王社
手前の龍王池は、かつて竜が天に昇るという伝説から
雨乞いの行事が盛んに行われていたそうです
岳道とは反対の方へ少し下ると金剛證寺
重要文化財の本堂です
ここは、関ケ原の戦いから敗走した後に答志島で自刃した
九鬼嘉隆のゆかりの寺でもあります
(九鬼嘉隆… 熊野水軍… 次は熊野詣!?)
時刻も午後になってきたので、同じルートで下山
途中、かつてのケーブルカーとの交差する橋で小休止
見上げるとかろうじてトンネルが見えます
見下ろすと…
かつての平岩駅(麓の駅)跡はとても見えませんな(汗
ところで、今回気付いた点が一つ
実は山頂広場が三角点ではありませんでした
写真をご覧あれ
この記述から地図を追っていくと
どうやらケーブルカーの山上停車場跡の付近のようです
かつての栄華をほんの少し垣間見た気がしませんか?