2014年02月10日

お燈まつり

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また日付が前後しますが・・・
県境越えて、縄つながり、2月6日のお燈まつり

新宮の神倉神社です

538段の急峻な石段を駆け下りる奇祭で
「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」と
新宮節に唄われています

お燈まつり当日、神倉神社は女人禁制

参加者は上り子と呼ばれ
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みなさんこんな縄、巻いてます

衣装は股引に上着、その上に直径5センチほどの荒縄を腰に
巻く回数は奇数で、3か5か7と決まっています

ザイのように見える五角錐の松明は
長さ85センチ、華は120センチ
御神火を受け、家内安全などを祈願するのです
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男だけが参加できる勇壮なお祭り

当日は朝から白いものだけを食べて
正午に大浜海岸にて白褌で禊ぎ
夕方祭り衣装に着替えて
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阿須賀神社→熊野速玉大社→妙心寺にお参りし
神倉神社へ登っていきます

神社下の太鼓橋から先
女性は行けません

午後7時頃に頂上の山門が閉まり
神事の後、松明に火が付き
一気に駆け下りてきます
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今年の一等賞(太鼓橋にて)

参加者は約2000人
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熊野地方に春を呼ぶお燈まつり
約2600年前の神武天皇東征の際
ご祭神・高倉下命(たかくらじのみこと)
松明を持って案内したという故事に始まったといわれ
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熊野年代記には
敏達天皇三年(574)正月二日に神倉山が光を放ち、
翌年正月六日夜、神倉火祭り始まると記されています

2014年01月05日

伊勢音頭で鰤まつり

ブリの水揚げ処、九鬼へ
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正月3日は鰤祭り
大漁祈願のお祭りです

そこで見付けた伊勢つながり
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儀式の清め役は神楽
花の黒い雄獅子と赤い雌獅子
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九鬼調にアレンジされた道中伊勢音頭を歌い
集落の端から端へ一巡し、そして真厳寺へ
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矢取役の男の子は肩車で

これから
賀儀取(かぎとり)=弓射です

賀儀取を担う弓役は
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矢壷から勢いよく矢を抜いて
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古式の作法により4立弓を射る
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終盤に近付くと
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「赤身で来い、大ナブラで来い」と囃しでにぎやか
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赤身とは鰤
海が赤く見えるほどの大漁を願います

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余興もあって(明朗会の白波五人男)

すこぶる活気ある漁師町
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2013年12月18日

出張続きの勢いで…神玉神社篇

裏木曽出張の流れに乗って、遠征報告
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古座川支流小川の奥地、小森川にやってきました
古座川町です(裏木曽とはヒノキ&清流つながり…)

12月5日、神玉(かみたま)神社の例祭でした
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「鯛釣り祭り」として知られる一風変わったお祭り
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まずはお祓い。湯立神事
急ごしらえの竃には熱湯グラグラ
湯の中へお祓いの笹を入れてかき回し
神職が氏子さんに笹の熱玉をかぶせます
(栄野神社つながり!)

ヒノキ材でできた皿に盛ったお供えは
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つるし柿・餅・赤飯

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境内に座った氏子さんたち

柿を食べて種を残し、その他のものは包んでおきます
     ↑ココ、ポイント

滞りなく玉串拝礼までが終わると、いよいよ鯛釣り神事
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祭り当番(=野口さん*かれこれ10年ぐらい当番)が釣り竿を持って
「きょうは鯛を釣りにきました。西の海で釣ろか、東の海で釣ろか」
「釣った、釣った」「鯛に釣りきられた」
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氏子さんの前の空の皿を鯛にみたて、腰につけた籠に入れ
「赤鯛9匹、白鯛9匹、黒鯛9匹、
3×9(さんく)27匹釣った。大漁、大漁」みんなも「大漁、大漁」

そして鯛の後も続きます
鳥追い神事は弓矢を手に「鳥をうちに来ました」と
3本の矢のうち2本を射て、1本を神職さんに頂けます

芋あらい神事
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「芋を洗います」と、先ほどの空皿を芋にみたて
上下にガッサガッサ、芋洗いの真似

そして寸劇最後は猿追い(柿の種)神事
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神職さんを先頭に氏子たちが境内を右回りで2周半まわり、
*2周半といってたけど、もっとまわってた
残しておいた柿の種を境内の外へ投げ、サルを追っぱらいます
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そして、みなさんお待ちかね
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餅ほりー、やっぱ祭りのシメは餅ほり

超笑顔
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潮崎さん
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ヒノキで作ったお供えのお皿、つくってます
小森川の3人の住人のお一人

山奥でなぜ海の魚の鯛を釣るの?

元々九州の鯛が釣れる地にルーツをもつ落ち武者が
この地に住みついたのが起源だという説も、あり

2013年12月16日

裏木曽の続き

護山神社です 裏木曽ツアー続編です
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伐採した御神木が奉搬される付知の神社

その日は、木曽山から御樋代木を輩出する栄誉を寿ぎ
氏子さんによる神事芸能は夜更けにおよび奉納されたそう

境内に展示してあった、じゃじゃん
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大人が、子どもか!ってぐらいでっかい…
天然の、千年ひのきの、三ツ尾切り

かつて「出の小路(いでのこうじ)の大檜」と呼ばれ樹齢950年という代物
昭和9年9月の室戸台風により地上12メートルの高さで折損
昭和29年に学術参考用として伐採されました

標本も展示され、昭和51年に付知町天然記念物に指定
昭和56年には出の小路の新たなシンボルとして
樹齢1000年級の巨大檜を「2代目大ヒノキ」に襲名

その後、標本の木は「初代大ヒノキ」と親しまれてます

お次、森林組合へ
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ここには人工林から伐り出された東濃ヒノキ
淡いピンク色で香りがよく、
粘りがあって強度的にもすぐれています

木に従事する人がとっても多い付知や加子母

丸博建築の伊藤さん
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宮大工として周辺の社寺を手がけています
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しびれる作業場

丸定木工所さんは枡づくり
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枡の工程に合わせて機械もカスタマイズ
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モルダーという機械にかけて削って
側板を一定のサイズにカットして
枡の形にはめこんだら、底と組みあわせ
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仕上げは円盤という機械で
枡の外側を綺麗に削ります

工場の中、社長じゃないと何が何かわかりません
枡だらけ、木曽ヒノキへの想いは熱く・・・

木曽ヒノキ備林は、戦前は神宮備林と呼ばれ宮内庁が所管
戦後は伊勢神宮に限らず文化財などの木造建造物に用いられ、
最近では名古屋城の本丸御殿の復元にも使われています

この貴重な森を守っていくために、
「裏木曽古事の森」として森づくりに取り組んでいます

会長の三浦さん
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「古事の森」は平成16年に故・立松和平氏が提唱
超長期にわたる森林づくり活動を推奨するもの

地元の中津川市市民で組織された協議会と森林管理署が協力し、
国有林の一部を有志の方や中学生による整備作業も行われています

森を案内してもらいました
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ちょっと珍しいものを
こちら「合体木」
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根本はサワラで上はヒノキ、いつからか幹が一つに・・・
樹高35m、幹回り250pで推定樹齢は560年
今も元気に育っています

この天然ヒノキは
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600年ぐらい?
そーしーてー
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対面
2代目千年ひのき
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対照物がないので、大きさ伝わりづらいですけど・・・

再び、森から流れる付知川
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地元では青川と呼ぶんだそう

きれいすぎ

2013年12月05日

御樋代木の旅、裏木曽へ

朔日参り、今月は伊勢にあらず・・・
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1日は裏木曽ツアーでした

御樋代の木、伐採地
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やってきました付知です

遷宮で建てかえる社殿の御用材は御杣山から調達されます

古くは伊勢の神路山、島路山、高倉山から伐出されていましたが、
次第に適した材が欠乏し、各地に御杣山が定められ、
美濃の国、木曽・裏木曽からも供給されるようになりました

本格的に遷宮用材が伐出されたのは
宝永6年(1709)といわれています

幕藩体制の保護のもと神宮備林として、
戦前までは式年遷宮の用材だけに備える山でした
現在この山は国有林

そして伊勢のお山でも、大正時代からヒノキを植え始め
今回の遷宮では全体のおよそ24%、伊勢産が使われたそう

ちなみに1回の遷宮に必要なヒノキ材は約1万m3で
本数にして約1万3千本程度


御樋代は遷宮の御用材の中でも大切なもの
御神体を納める器のことで
材は御神木と呼ばれ、杣人など
山仕事に従事する人々からは神聖視されています

木曽谷(長野県上松)・裏木曽(岐阜県付知)
国有林から伐り出されています

平成17年 ここ裏木曽では
6月5日に御神木の「裏木曽御用材伐採式」が行われました

三ツ尾伐り(みつおぎり)の切り株です
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内宮の御樋代木 樹齢300年超の天然ヒノキ

三ツ尾伐りは木曽地方で古くから貴重な材の伐り倒しに用いられてきた伐採法
三ツ緒伐り、三弦伐り(みつるぎり)、三ツ紐伐り(みつひもきり)とも

三方向から斧を入れ、伐倒方向が正確で、
心抜けや運搬中の突き割れの心配がないんだそう

熟練の技と準備が必要ですが・・・

この山、結構な急斜面
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しかも内宮・外宮の2本を必要とし
それぞれが無節の上質な材であること
清らかな流れに近い土地にあることなど
数々の条件を満たさねばならず、
しかも伐採では2本の先端を交差させて倒すため、
2本が近くでなくてはいけません。。。
(上の木は外宮さんの)

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こちら、牧野さん 三ツ尾伐りに取り組み、
急斜面での式典の舞台もつくりあげた方です

伐り出された2本の御樋代木は、
造材・化粧掛けをすませ、裏木曽国有林からふもとの護山神社へ
翌日は地元での御樋代木奉曳式、そして伊勢へと旅立ちました

訪れた御神木の山は、うっすら雪化粧
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*・*・*・*

この木は樹齢350年[高さ22メートル、胸高直径70センチ]
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平成9年10月30日に行われた
伐採始めの「斧入式」での三ツ尾伐り
平成25年の16年も前のこと
(上松では10/28に斧入式)

ってことは、
次の遷宮のための斧入式はもう4年後?
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付知川の高樽滝
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めちゃんこ、水、きれい

東濃森林管理署にて
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斧入式の切り株の上部です

ちなみにぃ、上松のは、2008年に・・・
http://hamasanguu.seesaa.net/article/89333913.html

2013年09月10日

川上村の手拭い

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天明の家 江戸時代中期の民家の再現
(天明:1781-1789)
奈良県川上村入之波にあったおうちです

そこで見付けたのが
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伊勢音頭手拭いっ

奈良の吉野の山奥で
伊勢音頭とは!なんかうれしい

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奈良県吉野郡川上村は
吉野林業の中心地で吉野杉・吉野檜の産地

ノコギリは種類豊富

吉野杉は酒樽づくりに最適
樽丸の実物とか
大正時代には盛んな筏流しの
筏に使うツルとか
ありました

吉野川の源流で
山と森を守り、樹を大切にしているところ
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http://www.genryuu.or.jp/

2013年07月21日

産田神社の御白石

御白石ネタ連投で
もう、ええって、、、と思ってるアナタ

すみません

また、御白石・・・
ですが、出張しました!
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ウソみたいに、まるっ

熊野の有馬の産田神社です
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こちらの石はまんまる
七里御浜の石だそう

御社殿前に御白石
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近づけない、それほどに神聖

お参りの人には
わらじが用意されてます
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御祭~は伊奘諾尊、伊奘冉尊、軻遇突智命
    イザナミ、イザナギ、カグツチの親子
天照皇大~、大山祇命、木萃開邪姫命、神武天皇も

イザナミがカグツチを産んで
亡くなった場所だとか

産田は産んだ所

あたりでは稲がスクスク
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花は終わり
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2013年06月04日

夫婦杉@那智山

毎週毎週浜参宮ばっかりでスミマセン
で、遠征しました
那智の滝までっ
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落差133メートル、日本一の直瀑
滝そのものが神であり仏

落ち口に張られる注連縄は
年2回、7月9日と12月27日に張り替え


滝の紹介だけではありません
夫婦つながり見っけ
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夫婦杉〜かなりでかい
樹齢800年とか
大門坂の入口にあり

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こちらは振ヶ瀬橋

俗界と聖域とを振り分ける境の橋
宇治橋みたい

通り掛かったバスガイドさんが
「お参り前に禊ぎをしたところですー」とのこと
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藁に夫婦に、禊ぎも、つながり!?

南方熊楠が滞在した
大坂屋旅館跡も近くに

2013年02月10日

つながりはお獅子に

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先日夫婦岩つながりで
ちょびっと触れたヤーヤ祭り

その続きを少し。。。
2月1日の御扉開きにはじまり
2日〜4日までの練り、そして
5日例大祭で夜はいよいよクライマックス
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大弓の儀 お獅子の出御 祷渡しの儀
祷送りが厳かに勇ましくおこなわれます
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弓の主役は弓射と矢取りのちびっこ
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紀州小笠原流の古式作法
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3つの当務町から3人の弓射が
7回(×2で14本)の矢を放ちます
 
結構、長い。。。1時間以上、
かがり火で照らされる弓場は緊迫した空気
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的の真ん中に当たった当務町は
あとで伊勢神宮へお礼参りの習慣があるとか

すべてが終わると
「お獅子じゃ、お獅子じゃ」の声
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真ん中、、、いるんです、お獅子さん
両脇は若衆ががっつり護衛

鳥居を出て再び境内に戻るとき
右回りで帰れば山方が豊作
左回りは浜方が豊漁と言われ
獅子頭を自分たちの方へ向かせようと
すさまじい練り合いが・・・

アツイアツイ尾鷲の夜
おつかれさまでした
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↑ここにも、実は伊勢つながり!

2013年01月05日

ギッチョ祭り【浜の祷】@古江

正月業務中
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こんな「伊勢」を見つけて
うれしくてレポート

平地が少なく山裾の斜面に
家々が建つ美しい層村、古江(ふるえ)

1月1日、ギッチョ祭りがあり、にぎやか
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このくじびきは……
「伊勢参り」と「熊野詣で」の代参

当たった人はまちのみんなの代表となって
それぞれ伊勢神宮、熊野本宮大社にお参り
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お札を受けてくるのです
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10日までに参拝し、11日鏡開きの日に
その報告をします

ちなみに見事お伊勢参りの方
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オメデトウゴザマス
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古江の正月行事、浜の祷は
海山と豊漁豊作を願うお祭り
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前日の晩、大きな桶の中に榊を敷いて祀った
塩漬けの魚、トンボ・カツオ・タイをさばき
みんなにふるまいます
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目出度い、目出度い
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その後「ギッチョの儀」として
山で採ってきた葛をひようたん型に束ね
山側へ3人、海側へ3人並んで
樫の棒で持ち上げ、ほうりあげます
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この時に「ギッチョホーイ」と声を掛けます
→(吉兆方位)
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この葛で編んだ枕みたいなのは
クジラに見立てているんだそう

撮ってる肩に飛んできました

葛は幸せを結ぶんだそう