2015年03月07日
水門祭・2
伊勢?@紀伊大島の水門祭
時差有りですが続きです
http://hamasanguu.seesaa.net/article/414405672.html
苗我島に到着した一行は
神官さんほか、神様を運ぶ白装束の「白鳥」2人
船の舳先に乗る「へのり」、弓を奉納の2人
それに黒法被の数人
再びお的がはじまりました
この苗我島、
潮岬、紀伊大島、通夜島ほか、小さな島々とともに
約1400万年前の海底火山の噴火によって
海中で造られた火成岩の陸地が
後に海面に隆起してできた島
長い年月の波の浸食により形成された
自然の不思議
お的の間に、大島港では
餅撒きや鳳と隼の櫂伝馬競争
當船が戻る頃には、ちょうど
「つるの儀」と呼ぶ稚児行列
それぞれ大人も役割があって
1番】潮うち、 2番】似士子(にしこ)※武士
3番】上臈(じょうろう)※身分の高い御殿女中
4番】宿直(とのい)or包持ち※宮中や御殿の夜警武士
5番】酒しぼり、 6番】弓持ち
7番】連雀=連尺※背負子(しょいこ)。行商人。
8番】籠持ちor籠ふり、 9番】商人
↓こんな感じで、當船を迎えます
後方の木の葉で作った「山」の頂上には鏡があり、
これを若い衆が競って奪い合うのが鏡取りの行事
その後はひたすらピーヒャラ獅子舞
なんともにぎやか多彩の一日です
こちら口上を述べて商いをする商人
東西東西 当浦大漁 当浦大漁
幸よし 天下泰平 五穀豊穣 豊年満作 万々歳
金襴緞子 綾 綿 縮緬
さあ〜、買った買った〜
壱千萬、一億〜、売った〜
ひのふのみ、それ、しゃん、しゃん、しゃん
2015年02月21日
水門祭・1
水門祭→これで「みなとまつり」
水門神社の例祭で県の無形文化財
2月2週目の土曜、串本の大島へ
祭りは、神巧皇后の伝承が由来
新羅遠征の後、幼い皇子
(応神天皇・ホムダワケノミコト)を連れ、北九州から
仲哀天皇の遺骸と都に向かおうとした神巧皇后
ところが、仲哀天皇の2人の御子が、
皇后と応神天皇を討とうと瀬戸内で待ち伏せ
危険を察した武内宿禰(タケウチノスクネ)が、
南海道に迂回するよう皇后に進言
それに応じた皇后一行は、行幸の途中、
紀伊水門浦の通夜島に立ち寄られました
このとき、大島浦、串本浦、出雲浦から
それぞれ住民が迎えの船を出しましたが、
一行は大島浦の船にお乗りになられました
と、口伝として残されています
まず、お的
神社境内にて、成人男子が弓の奉納
こちらは大座の後の直会
神社拝殿前にてゴザを敷き、
島の古老や漁業関係者が集います
マグロが猛烈うまそう
お弓の後は獅子舞
大島の獅子舞は「オン獅子」=雄
といわれてるそう
頭のとこから出てる毛が
5色もあるのは珍しいと古老
天狗さんも勇ましく登場
このあと、祝宴と獅子が終わると
一行は船に乗り苗我島へ〜
神事の祭場へ運ぶ魚、これ、、、
神宮さんからの鯛とか!?
☆つ・づ・く☆
水門神社の例祭で県の無形文化財
2月2週目の土曜、串本の大島へ
祭りは、神巧皇后の伝承が由来
新羅遠征の後、幼い皇子
(応神天皇・ホムダワケノミコト)を連れ、北九州から
仲哀天皇の遺骸と都に向かおうとした神巧皇后
ところが、仲哀天皇の2人の御子が、
皇后と応神天皇を討とうと瀬戸内で待ち伏せ
危険を察した武内宿禰(タケウチノスクネ)が、
南海道に迂回するよう皇后に進言
それに応じた皇后一行は、行幸の途中、
紀伊水門浦の通夜島に立ち寄られました
このとき、大島浦、串本浦、出雲浦から
それぞれ住民が迎えの船を出しましたが、
一行は大島浦の船にお乗りになられました
と、口伝として残されています
まず、お的
神社境内にて、成人男子が弓の奉納
こちらは大座の後の直会
神社拝殿前にてゴザを敷き、
島の古老や漁業関係者が集います
マグロが猛烈うまそう
お弓の後は獅子舞
大島の獅子舞は「オン獅子」=雄
といわれてるそう
頭のとこから出てる毛が
5色もあるのは珍しいと古老
天狗さんも勇ましく登場
このあと、祝宴と獅子が終わると
一行は船に乗り苗我島へ〜
神事の祭場へ運ぶ魚、これ、、、
神宮さんからの鯛とか!?
☆つ・づ・く☆
2014年12月27日
おん祭@春日若宮
出張ついでに、すみません、奈良です
春日若宮おん祭
春日大社の摂社、若宮神社の例祭で
なんと平安末期の保延2年(1136)9月17日
関白藤原忠通が五穀豊穣を祈って始めて以来
一度として途切れることなく守り継がれている伝統行事
若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと
深夜お遷しする行事で参道は皆灯火を滅しての浄闇
神霊を遷すのは古式の作法が伝えられ
榊の枝で神霊を十重二十重に囲むというもの
「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発し
楽人たちは道楽を奏で、お供をするのです
で、その日の日中が盛大すぎてびっくり
猿楽
田楽
正午から古式ゆかしい時代行列「御渡り式」で
流鏑馬
大和侍
大名行列チビッコバージョン
大名行列大人バージョン
午後2時半からは御旅所での祭典
神様のお供えにはお米を青黄赤白に染め分けて飾る
染御供(そめごく)という珍しいものも
続いて夜遅くまで数多くの神事芸能が奉納されます
正装した六人の巫女さんは藤の花
午後3時から午後10時半ぐらいまで延々と
東遊!1月11日には内宮でも、しかし舞うのは子ども
これは珍しい細男(せいのお)
神楽式にて
振鉾三節、萬歳楽、延喜楽、賀殿、地久
和舞、蘭陵王、納曽利、散手、貴徳、抜頭、落蹲
こんなに舞楽三昧、またとない機会
古都奈良の一年を締めくくるお祭りでした
12月17日の出来事です
2014年12月24日
ねんねこ祭り@串本田原
2014年09月24日
縄ない=藁つながり
10月2日の花の窟@熊野市の
お綱かけ神事
日本一長いともいわれる
約170メートルの大綱をご神体である
窟から境内松の木へ掛けるお祭りです
その大綱を地元の人でつくってます
21日、日曜日、朝から
まるっと一日掛けての作業です
170メートルが7本いるから時間かかります
7本はそれぞれ
風の神ー級長戸辺命(シナトベノミコト)
海の神ー少童命(ワタツミノミコト)
木の神ー句句廼馳(ククノチ)
草の神ー草野姫(カヤノヒメ)
火の神ー軻遇突智命(カグツチノミコト)
土の神ー埴山姫(ハニヤマヒメ)
水の神ー罔象女(ミツハノメ)
を表しているとか
ちょきんちょっきん、
きれいに整えるのは二見と一緒ね!
花の窟のご神体は45メートルの大岩
そこに伊弉冊尊(イザナミノミコト)
向かいにある王子ノ窟には軻遇突智尊(カグツチノミコト)を
おまつりします