14日の土曜日
舞台は潜島
二見十景のひとつ
:・:・:・:
14日は神前普請(こうざきぶしん)
旧暦6月1日に近い日に行われていますが
今年はちょいと早め、旧暦5月15日に近い日でした
なんせ大潮のときにしか
できない神前普請。。。
もともとは、この神前普請は
贄海神事とセットの行事
贄海神事は月次祭にお供えする
牡蠣や水松(みる)などを採取した神事
明治初年廃止
旧暦6月15日の贄海神事の前に
松下地区総出で潜島までの道普請をしていたのです
贄海神事が廃止され道普請はしてませんが
潜島の注連縄張りだけは続けられてます
松下の注連縄は浜で手よりの手づくり
8時過ぎ、藁を持って神前の浜に集まります
ギリギリセーフ・・・
奉納する注連縄は2本
できあがったら腹ごしらえの中食
あらめの酢の物と醤油で炊いたの、いただきました
(あっ、おにぎりも、頂戴しました、ごちそうさまです)
小さい丸注連縄もここで作ります
家族の人数分を用意
そろそろ干潮時間近付いて
いざ潜島へ向かいます
岩場をぐんぐん
辿り着いた潜島
まずは小さい丸注連縄を岩場へ供え
御神酒をかけた注連縄をセット
危険なんですよ、岩場に登って
ちょうどいい感じに2本をたらして
完了ぉ
潜島といえども島でなく海食洞門
潜って向こうに見えるのは
飛島
おつかれさまでしたー
2014年06月18日
2014年03月28日
高城神社仮殿遷座祭
3月25日ちょいと曇りの夜7時
今一色の高城神社はそわそわざわざわ
平成26年10月、新しいお宮となる前に
神様に仮殿へとお移りいただく遷座祭
予行練習もばっちりすませて
いよいよ本番なのです
太鼓の音で祭典はじまり
榊でお祓い、御扉開扉
宮司の祝詞奏上と続き
いよいよ御本殿から
御神宝と御神体のお出ましです
召立(めしたて)として役割分担が紹介されると
襷掛けをした今一色の役員たちが
次々と御楯、御弓、御太刀、御鉾・・・を
手に、列をつくります
そして絹垣、いよいよ御神体
と、その時!
吹きましたねぇ〜、風が!!!
見学に訪れていたおばあちゃんたちも
なんやん、なんやんと顔を見あわせ
驚きと不安の声
頭上から葉っぱや木の実が落ちてきて
一瞬雨かと、でもすぐおさまりました
風が吹いた、というより風が通った、感じ
その直後、境内の灯りは消され、提灯のみ
暗闇の中、静かに厳かに御列が仮殿へと進みます
白い絹垣に囲まれ、御神体はゆっくりと
無事に社務所内の仮殿へ
御神宝もおさめて、はじめての献饌
そして遷座の祝詞奏上
玉串を奉りて拝礼
10月25日に、新しいお宮へ遷るまで
しばらく仮住まいです
高城神社は明治42年、二見神社に合祀
昭和29年分離復帰しています
御祭神は外宮度会氏の祖の
大若子命(おおわくごのみこと)
ほか
菅原道眞
大山祇神
罔象女神(みづはのめのかみ)
不詳一座
今一色の高城神社はそわそわざわざわ
平成26年10月、新しいお宮となる前に
神様に仮殿へとお移りいただく遷座祭
予行練習もばっちりすませて
いよいよ本番なのです
太鼓の音で祭典はじまり
榊でお祓い、御扉開扉
宮司の祝詞奏上と続き
いよいよ御本殿から
御神宝と御神体のお出ましです
召立(めしたて)として役割分担が紹介されると
襷掛けをした今一色の役員たちが
次々と御楯、御弓、御太刀、御鉾・・・を
手に、列をつくります
そして絹垣、いよいよ御神体
と、その時!
吹きましたねぇ〜、風が!!!
見学に訪れていたおばあちゃんたちも
なんやん、なんやんと顔を見あわせ
驚きと不安の声
頭上から葉っぱや木の実が落ちてきて
一瞬雨かと、でもすぐおさまりました
風が吹いた、というより風が通った、感じ
その直後、境内の灯りは消され、提灯のみ
暗闇の中、静かに厳かに御列が仮殿へと進みます
白い絹垣に囲まれ、御神体はゆっくりと
無事に社務所内の仮殿へ
御神宝もおさめて、はじめての献饌
そして遷座の祝詞奏上
玉串を奉りて拝礼
10月25日に、新しいお宮へ遷るまで
しばらく仮住まいです
高城神社は明治42年、二見神社に合祀
昭和29年分離復帰しています
御祭神は外宮度会氏の祖の
大若子命(おおわくごのみこと)
ほか
菅原道眞
大山祇神
罔象女神(みづはのめのかみ)
不詳一座
2013年09月10日
西の地蔵講
瓦屋根の旧地下です 西村(二見町西)です
平成25年のスケジュール
庚申さんの日です
庚申とは庚(かのえ)申(さる)の日を意味し、
この夜に人の体の中にいる三尸の虫が、
寝ている間に体から脱け出し、
天帝にその人の行った悪行を告げ口に行く
寿命を司る神・天帝は悪いことをした人に
罰として寿命を縮める
ところが三尸の虫は、人間が寝ている間にしか
体から脱け出ることができないので、
庚申の日は徹夜をする、これが庚申待ち
西では庚申の日のほかに
観音さん、地蔵さんの日には
おばあちゃんたちが集まっておつとめ
地蔵講と呼ばれています
多いときは30人ぐらいいたそうですが
今では13人
それでもみなさん欠かすことなく
月に2回と庚申さんの日には
旧地下かコミセンに集合
般若心経、庚申さん、子安さん、お地下さん…
昔は昼も夜も
お米集めて食事も一緒にしてたそうですが
今は簡略化されて昼ご飯食べてここに来て
1時間ほど そのあとはおしゃべりタイム
地蔵講キットはブルボンとかあられの
カンカンに入れて
手書きのお経は先輩のを写させてもらったんだって
何代にも渡って受け継がれています
*・*・*・*
かつてはここにありました
日待供養塔や彩色の庚申塔が並ぶ道
この道を隔てた南に籠り堂があって
おつとめしていたそうです
2013年08月27日
三津の会式の日曜日
2013年07月08日
潜島の注連縄張り
2013年02月28日
火渡り@太江寺
2013年01月22日
大般若会
2013年01月10日
松下の山の神
日曜日、6日のこと
ツバキの葉っぱ、回収中
植物観察じゃありません
松下の山の神です
お供え物を準備中 お米をコトコト
しゃべったら駄目なので
ツバキの葉っぱくわえてます
これは卯木
お供えの台も手づくり
さきほど炊いたごはんと
大根人参のなますをツバキの葉っぱに
少し前までかわらけのお皿でしたが
ツバキの葉っぱに戻したそう
この葉っぱ縁起良く末広がりの88枚
榊巻きが真緑の山の神
準備整いました
御神酒でお清め
素襖烏帽子の7人が順番に
かわらけを卯木で叩いていきます
なかなか割れないんですよね
7つ割ったら、終了・・・
なんで7人かっていいますと
昔、松下は組が7つだったそう
今は12組
中世古さんが教えてくれました
(右端)
みんなが見てるのは
樹齢2000年の大楠
かつては松下の山に生える松茸で
このお祭りの費用も賄えたとか
ツバキの葉っぱ、回収中
植物観察じゃありません
松下の山の神です
お供え物を準備中 お米をコトコト
しゃべったら駄目なので
ツバキの葉っぱくわえてます
これは卯木
お供えの台も手づくり
さきほど炊いたごはんと
大根人参のなますをツバキの葉っぱに
少し前までかわらけのお皿でしたが
ツバキの葉っぱに戻したそう
この葉っぱ縁起良く末広がりの88枚
榊巻きが真緑の山の神
準備整いました
御神酒でお清め
素襖烏帽子の7人が順番に
かわらけを卯木で叩いていきます
なかなか割れないんですよね
7つ割ったら、終了・・・
なんで7人かっていいますと
昔、松下は組が7つだったそう
今は12組
中世古さんが教えてくれました
(右端)
みんなが見てるのは
樹齢2000年の大楠
かつては松下の山に生える松茸で
このお祭りの費用も賄えたとか
2012年09月10日
姫宮さん
2012年08月28日
三津の会式
青空の日曜
ワッショイの声が三津中に響きます
今日は会式、氏神稲生神社のお祭りです
JR二見浦駅の真裏、山裾にひっそり
稲生神社の歴史は古く、
およそ420年前の書物に登場
寛延四辛未年(1751)、三津村祢宜の家田端大郎大夫が
二見郷中の神祭について古帳を整理し、
書き改めたものの写しがあります
古帳は「郷中入用次第覚」(神宮文庫蔵)なる一冊で、
天和三年(1683)九月八日、
三津村祢宜である家古葉彦太郎の起筆によるもの
祭日月日、お供え物、方法、什器等詳しく各神社毎に書かれ、
いかに神事が丁重、厳粛に斎行されていたかがわかります
お神輿かついで町内一周
祭り男=小4
祭り仕様の軽トラには
太鼓係
稲生神社は明治42年、姫宮稲荷神社に合祀され
溝口地区の二見神社となりましたが、昭和23年分離
東山稲荷境内に祀られ、また地区に戻りました
祭神は宇賀之御塊大神・大山祗大神・応神天皇
おばあちゃんは
福引きに♪
ワッショイの声が三津中に響きます
今日は会式、氏神稲生神社のお祭りです
JR二見浦駅の真裏、山裾にひっそり
稲生神社の歴史は古く、
およそ420年前の書物に登場
寛延四辛未年(1751)、三津村祢宜の家田端大郎大夫が
二見郷中の神祭について古帳を整理し、
書き改めたものの写しがあります
古帳は「郷中入用次第覚」(神宮文庫蔵)なる一冊で、
天和三年(1683)九月八日、
三津村祢宜である家古葉彦太郎の起筆によるもの
祭日月日、お供え物、方法、什器等詳しく各神社毎に書かれ、
いかに神事が丁重、厳粛に斎行されていたかがわかります
お神輿かついで町内一周
祭り男=小4
祭り仕様の軽トラには
太鼓係
稲生神社は明治42年、姫宮稲荷神社に合祀され
溝口地区の二見神社となりましたが、昭和23年分離
東山稲荷境内に祀られ、また地区に戻りました
祭神は宇賀之御塊大神・大山祗大神・応神天皇
おばあちゃんは
福引きに♪