2008年03月31日

大神宮前…

図書館へ向かう八日市場あたり

目に飛び込んできたのは
この看板っ

むむむ?

大神宮前?

大神宮前?
駅の看板みたい…


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時の元号が大正から昭和に変わった頃のお話…

明治末期に開通した国鉄参宮線しかなかった伊勢神宮への鉄道は
参拝客の鉄道需要増加見込みに対して
新たに名古屋からと大阪からの私鉄鉄道敷設が計画されました

大阪からの私鉄が 『参宮急行電鉄(参急)』
名古屋方面からの私鉄が 『伊勢電気鉄道(伊勢電)』 です

大阪から来る参急は
上本町から桜井を経て伊賀盆地を抜け
青山峠にトンネル(旧青山トンネル)を掘り
終点の宇治山田駅まで大阪から最速2時間で着く
という当時としては驚異的なスピードの列車を走らせます

この参急が後の近鉄大阪線・山田線になります

ちなみに上本町-宇治山田間を2時間というのは
現在の近鉄・快速急行とほぼ一緒です

70年前に現在の快速急行並みの列車を走らせていた
というのはすごいです


さて、飛ぶ鳥を落とす勢いの参宮急行鉄道に対し
桑名発祥の伊勢電気鉄道は昭和5年に伊勢まで路線を延ばし
次に名古屋へと伸ばす計画をしていました…

が、
世界恐慌のあおりや木曽三川橋梁に絡む汚職事件をおこし
経営に行き詰まり、結局参宮急行鉄道に吸収され
現在の近鉄名古屋線の元になっています


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さてさて、今の宇治山田駅が
当時の参急の終点ですが
では伊勢電の終点はどこだったかというと
それが 『大神宮前駅』 だったというわけです

伊勢電の伊勢-松阪間(大神宮前-新松阪間)は
昭和17年に廃止され、現在のNTTは大神宮前駅跡地になります

そして、図書館、宇治山田高校前を行く道は
伊勢電気鉄道の線路跡です

線路跡だよ

山高の下をくぐる天神丘トンネルも
元は電車用のトンネルです

これも線路跡だよ

この天神丘トンネルを出た、旧ぎゅーとら二俣店跡近くに
『やまだにしぐち』 の駅表示発見!

やまだにしぐち

表示板によると
大神宮前と山田西口の間に 『常磐町』 駅が
あることになりますが…

どこだか分かりませんでした、はい

武道館前あたり、宇治山田高校前バス停付近の道幅が
そのあたりだけ若干広くなっているので
たぶん、そこ辺りが 『常磐町』 駅跡でしょうか?


さて、 『山田西口』 駅を出ると
もう一つ秋葉山トンネルをくぐります
今は車が走るこのトンネルも昔は電車が走っていたトンネルです

これも電車跡トンネル

(ちなみに、トンネル2つとも…)
(20年ほど前に道路用へとかなり改良され…)
(鉄道時代の面影はありません)

秋葉山トンネルを出るとすぐ宮川で
道路は南島線の 『論出T字路交差点』に出ます

論出の交差点

伊勢電気鉄道はここから宮川を渡っていました

南島線の脇道を行くと論出交差点下に
宮川に橋梁をかけていた基礎部分が残っています

宮川橋梁基礎跡

宮川を渡り終えた伊勢電気鉄道の線路跡は
今の県道37号鳥羽松阪線(旧23号線)になります

ちなみに、今の県道37号鳥羽松阪線はその昔
参宮道路といって、日本初の有料道路でした


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いきなりですが、パチンコ・カクテルや
ケンタッキーがあるあたりを松阪方面から

ど〜こだ?

松阪から来るとこのあたりで
道路は若干左カーブを切って
度会橋へと伸びていきますよね

しかし松阪方面からきた電車は
まっすぐ宮川鉄橋へと線路を延ばしていました

実際、まっすぐ進んでいたあたり…
ちょうど古川書店度会橋店の真裏の田んぼには
コンクリートのカタマリがあります

橋脚跡@古川書店裏

これ、伊勢電の橋脚跡です

そしてガストの横に流れる小川…

ガスト横…

県道から南へ小川を200メートルほど遡ると
そこにも…

これも橋脚跡

小川を渡る橋梁の基礎跡です



ちょっと地図をリンクさせときます
スタートはNTT、元大神宮前駅です
この地図、左方向へスクロールしてってくださいな

地図です


地図をずんずん進めると
図書館、武道館前から山高の下を天神丘トンネルでくぐり
もひとつ秋葉山トンネルをくぐり
論出の交差点から先(もちろん道はないですが)
そのまままっすぐにスクロールして行ってみてください
洋服の青山、古川書店の裏道へ出て
ケンタッキー裏を通り日野自動車前で県道37号に吸収されていきます

これらすべてが伊勢電の線路跡になります

(日野自動車の前の道がちょこっとだけ出っぱってる)
(ここが合流点です)


この先、伊勢電は
櫛田川からまっすぐ松阪市内へ
今の通称 『近鉄道路』 を通って
三雲から津への迂回路…
23号線の一本西側、田んぼの中の道を通り
サンバレーの裏を通り、藤方の交差点で23号線を渡り
結城神社の前の道を通り、岩田川を渡り
(ここの橋が鉄道の橋そのままにアスファルトをひいてます)
江戸橋まで今の近鉄に併走するように走っていました


そんな、かつての電車跡…、のお話でした
posted by 浜参宮観察隊 at 22:41| Comment(5) | TrackBack(0) | 伊勢の話題> おぉ〜、な小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
見ました、看板。
道の駅?とか思ってました。

橋脚跡も普通に景色の一部として
目になじんでて疑問すらありませんでした。

内宮の工作所の線路も「道の模様」というか。

岩田川の橋はそうすると物凄い昔からあるのですね。
ちょっと不安な感じもします。
(いや、きっと補強はしてるのだろうけど)

…ところで、この看板は結局誰が何のために?
ノスタルジイ?観光か何かの一環でしょうか?
Posted by 元伊勢市民 at 2008年04月01日 09:09
伊勢電気鉄道の路線をよくぞ遡ってくれました。あっぱれです。

私も小さな頃に宮川に残った橋桁を見て、その延長はどうなっているのかと、おっかけたものです。

論出につながるトンネルは、宮川中学校に通っていた頃は閉鎖されていてオバケ・トンネルとか言われていました。

かなり歩き回られたのかな?
うちの近所も(^^)

poncha
Posted by p o n c h a at 2008年04月01日 20:14
■元伊勢市民さん

この看板、よく目立つし
伊勢電のことを知らなかったら
なんじゃこりゃ?ってなりますよね

看板、観光名所というよりノスタルジーじゃないでしょうか(笑
だって、伊勢電の説明看板ないし…

そうです、岩田橋の橋梁は古いのです
もともと電車が走ってたし
見た目にも頑丈だから大丈夫と思いますw


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■ponchaさん

そうそうそう、残ってましたよね、宮川の橋桁
度会橋の上流に柱状の橋桁が立ってた光景を覚えてるんですが…

あのへんをウロウロしてた高校の頃
オバケトンネルって言われてたのも覚えてます
柵がしてあって、立ち入り禁止で真っ暗で…

その頃に、これは昔電車が走っていたトンネルで
と聞いたことがあります

ponchaさんちのご近所だったのですか!

Posted by 最近ちょこっと観察隊なY@管理人 at 2008年04月02日 17:01
すごくわかりやすい説明ありがとうございます!
さすが てっちゃん。
Posted by とれ at 2008年04月03日 12:32
■とれさん

はいな、そりゃ〜もう
てっちゃんだから…

(エッ
Posted by 最近ちょこっと観察隊なY@管理人 at 2008年04月05日 17:07
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