硯岩
高さ5mもある巨岩で上部に凹んだ水たまりがあって年中干上がった事がない。雨乞いの時はこの水を汲み取ると雨が降ると伝えられ、伊勢の三郎が手習いをした所として、わらじの跡も残っている。伊賀の松尾芭蕉が 「硯かとひろうやくぼき石の露」 と詠み有名になった昭和63年発行二見町史より
三津地区の南端…
ちょうどJR二見浦駅の裏辺りから見た
音無山の端っこです

田んぼのあぜ道を進んでみましょう
田んぼの端、山裾には溝が流れてますが…

親切な丸太橋をえいやッ!と飛び越え
そのまま山へと入っていきます
ちょっと斜面でおっととと言いつつ
すこし雑木と戯れつつ…
ひたすら突き進みます
登ることわずか数十メートル…
突然眼前に大きな岩が現れます
おおっ!と思わず口走る大きさです

この岩が通称 『硯岩』 という
二見の名物岩のひとつです
岩を回り込むように山を登ると
上にでられます

ちょうど斜面から突き出ているかのこの硯岩
岩の上はちょっとした舞台のようです
前の木がなければ海がきれいに見えます

実際、古い絵葉書を見ると
この硯岩の上で景色を眺めている人の写真があります
しかも下駄履きで!
(その絵葉書、手元にはないです)
(すいません)
さてさて、この岩、何ゆえ硯岩?…
引用の町史にもあるように
岩の真ん中あたりに窪みがあり
そこに水がたまっているんです

不思議なことにこの水は
枯れることがないんですと…
窪みの形がちょうど硯を連想させます
源義経の家来に伊勢三郎義盛という武将がいました
伊勢 義盛(いせ よしもり、生年不詳 - 文治2年7月25日(1186年8月11日))は、平安時代末期の武士で源義経の郎党。諱は能盛とも。通称は三郎、江三郎。(wikipedia より引用)
伊勢三郎義盛の通称名に『江三郎』とありますが
この『江』というのが二見の江地区のことをいう、との説があります
実際音無山には伊勢三郎にまつわる旧跡が何箇所かあり
地元では今でも音無山のことを『三郎山』とも呼びます
この硯岩もそんな伊勢三郎にまつわるもので
町史にもあるように
三郎が実際硯代わりに使っていた…
というお話が伝わっています
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●硯岩は ここ! (マップファンへのリンク)
硯岩への上り口からみた三津地区です

田んぼに伸びるあぜ道が
このページ最初の写真のあぜ道、
地図の中のあぜ道になります
網が張ってあるグラウンドは
三津地区ゲートボール場
これが目印!
…ちなみに硯岩をもう少し登ると
ちょっとした尾根で
それを越えると伊勢・安土桃山文化村に入っちゃいます…