「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」
ということで、朝熊山へいざ!
午前9時過ぎ、朝熊岳道を登り始め、
22ある町石(9、10は道中にありません)を
数えつつ、ヘトヘトになり朝熊峠に到着
岳道を登り終えたところには、かつて旅館が
朝熊岳とうふ屋旅館跡
このあたりの屋敷跡は朝熊山唯一の旅館であった『とうふ屋(東風屋)』の 跡です。
晩年、大井幸太郎氏が経営した旅館で、当時は全国に知られた宿でありました。
創業は江戸期。大正14年に新築され、朝熊山唯一の旅館として本館と別館があり、本館は100畳敷の大広間もあって団体宿泊に備えました。別館は客室十数室の他に写真の暗室も設け、食堂は和洋食を整え、志摩や鳥羽の新鮮な魚介類を豊富に使ったメニューでした。
昭和19年、ケーブルカーの廃止と共にさびれ、茶店を主に臨時営業をしていましたが、昭和39年2月18日の火災によって本館、別館ともに焼失しました。(案内板より)
賓日館の大広間が120畳ですから、
相当な大きさの旅館だったと想像できます
現在は基礎や残骸がほんの少し残ってるだけ
地元の人の話によれば、当時この旅館から
麓の四郷小学校まで歩いて通っていた児童も
いたそうな…
そこから歩くこと数十分、ようやく山頂の広場に到着
ここは、二見からもよく見えるテレビ塔があります
写真は2006年より地デジ用に運用が開始された
中継用設備ですわ
広場から二見方面を見てみると…
ホンマええ天気ですな
少し奥まって、八大龍王尊をおまつりしている
八大龍王社
手前の龍王池は、かつて竜が天に昇るという伝説から
雨乞いの行事が盛んに行われていたそうです
岳道とは反対の方へ少し下ると金剛證寺
重要文化財の本堂です
ここは、関ケ原の戦いから敗走した後に答志島で自刃した
九鬼嘉隆のゆかりの寺でもあります
(九鬼嘉隆… 熊野水軍… 次は熊野詣!?)
時刻も午後になってきたので、同じルートで下山
途中、かつてのケーブルカーとの交差する橋で小休止
見上げるとかろうじてトンネルが見えます
見下ろすと…
かつての平岩駅(麓の駅)跡はとても見えませんな(汗
ところで、今回気付いた点が一つ
実は山頂広場が三角点ではありませんでした
写真をご覧あれ
この記述から地図を追っていくと
どうやらケーブルカーの山上停車場跡の付近のようです
かつての栄華をほんの少し垣間見た気がしませんか?
記録によると、神都線のチンチン電車が二見線開通後暫くして平岩まで。そこでケーブルカーに乗り換え頂上へというコースだったそうな。
デジタル鉄塔は各放送局100W(NHKは10W)。津の長谷山は500W,瀬戸のデジタルタワーは3KWの送信出力。すごい大きさなんでしょうね。
小学校の遠足で行った時、とうふやさんの火事があってからすこしたっていましたが、黒い跡だけで
建物なにも残っていなかったような記憶があります。
ちょーカメレスです。すいません
朝熊山のケーブルカー、今でもはっきり残ってますね
下からもなんとなく線になって見えます
瀬戸のデジタルタワー、遠目で見たことあります。なんか大きな搭でした
へぇぇぇぇ、のー天気野郎さんの時の遠足
とうふや火事の黒い跡が残っていたんですか!
いまは建物の一部がすっかり遺構風ですね