微妙〜にお揃いですよね
これこれ
実はこれ、
40年前(昭和41年)のデザイン
川曳連合団長会議という
厳粛なる!集まりで
四郷と二見が同じ柄の法被を
作ることになったようです
以下、お揃い法被の謎を
解き明かしてくださった
三津のおじいちゃんの
原稿ママです
「四郷と二見が合意の上、同一の上衣を伊勢市駅前にあったオカダヤ百貨店へ図柄もまかせて注文して作成しました。」
オカダヤ、だそうで。
そして偶然にも、当時の
オカダヤの営業マンが
知り合いにおりまして…
(今は某美術館のえらいさん)
聞きましたら
四日市の染物屋さんでこしらえたんだと
町の特徴なんかをレクチャーし
それぞれ2、3の柄を提案したそうな
当時のオカダヤは法被(&トレパン)で
大儲けしたそうですに、お木曳経済効果!
あっオカダヤって
ジャスコです、もう駅前にはないけど
で、さかのぼって、
その前のお木曳は昭和17年。
「太平洋戦争が始まって、物資が不足の時代、商店はとてもハッピは出来ません。それで、伊勢市長さんより、伊勢神宮の社殿造営奉仕の精神に應じて、特別を以て清浄なる衣服用反物の交付を政府に申請して、一戸当たり、ズキン、上衣、ズボンと割当配当がありまして、白一色で奉曳致しました。」
さすが、伊勢市長!!!
で、更にさかのぼること、大正時代。
このときの衣装はこの書物から…
「一般奉曳者 上法被、木綿藍色地、背に八咫鏡を朱く染め抜き 中に今、中、三、溝、山、二の六字を赤く現はし、袖に櫻花、楓葉を白く抜き下に波状を描き 楓の浮きたるを白く染抜き襟は紺碧色とし、町名の略號を現はす。
帯、茶色木綿の三尺帯、波状三線及水玉模様を白く染抜く。腹當、脚絆、紺木綿。手拭い、豆絞形。提灯、長形、上部に朱色波状二線、下部に藍色波状三線、中部に八咫鏡を朱く描き、中に町名略號を墨にて書く。【右 今在家町、中之切町、二見町三津、山田原、溝口、濱ク村二軒茶屋】」
大正11年(12年)は
6団がお揃いだったようで…
このときの三津、浜荻団の法被図柄を
思い出して、描いてくださいました。
じゃんっ!
すてきです。
前回が0年として今回で20年、次回で40年・・・。
で、自分自身もがんばって60年後でしょうか?
私は1回目は幼児で小さい法被、
前回と今回は同じ法被で、これからもとりあえずは
体型が激変しない限り着れそうです。
実際、今回の宇治連合のように合併したりして
法被が新しく変わったり、
昔の染めが悪かったので買いなおしたとかもあるし、
ディープに関われば木遣りやらの特殊系法被で
これも2回くらい着るくらいでしょうか?
結婚なんかで伊勢でも違う地区に行くこともあるし。
一番、長く同じ法被が続いてるのはどこなんでしょう?
代々法被を着てる!って方はみえるんでしょうか?
さて、明日は大祭♪
我が団はお木曳き車を曳くのでがんばってきます。
おや?けっこう毎年着てますね、法被。
法被の保存…
う〜ん,どんなもんなんでしょう?
二軒茶屋では明治期の法被が活躍してました。
http://hamasanguu.seesaa.net/article/21649067.html
(一年次の記事です)
ちなみにウチの川曳法被はほぼ間違いなく
昭和41年のお木曳きにじいさんが着ていた…
この記事のときの法被だと思われます。
48年のお白石にはすでに着ている人がいる(父親)
ウチの団,前回のお木曳で分裂したので
襟元の団名が正確には違うようになっちゃいました。
でも個人的には旧団名がシンプルで好きなのでで
この40年選手の法被には頑張ってもらおうかと
(着れる着れん,は別として…)
毎年着ることで味が出てくる…
そんな思いで法被には活躍してもらいましょう