20年に一度のお木曳で
一年次には川も陸も
曳っぱって合計2回

しかも二年次の陸曳では
内宮の棟持柱を曳くのです

お祓い受けて
無事の奉曳を願います

でかい・・・んです
なんてったって棟持柱

12メートル
3.8トン
梃子方みんなで
気合い一発

2500人が
300メートルの綱を
エンヤエンヤで
いざ出発です

徴古館の交差点を出ました
いざ公道です
こんなにデカイ・・・


ワンタがこのサイズ!

ん
その棒は?

奉曳車ナンバーワンを
誇る大きさ
電線をこんな風に
よけております

スタートしたばっかりですが
みんな盛り上がって
なかなか前にすすみません
しかもこーんなに長い
およそここが中間地点
先頭 わかります?

副団長さん
「前へー前へー
昼飯の時間なくなるぞー」

道路いっぱい「鷲」はっぴ

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宇治浦田の交差点を渡り…

神宮会館まで来たときに
神宮会館の玄関
どえらい人だかりでした
なに?
えっ芸能人来るんだ
ふーん
と思ってたら
玄関でなく裏口から
真横を通り過ぎました
あっ華原朋美!

アッちゅう間に
ものすんごい人だかり

クルマの真ん前で
どうやら曳いてるらしいです
動きません クルマ
それでもエンヤエンヤで
前へ前へ
で ほんの10メートル
また神宮会館へ戻って行きました

(中央のサラサラ髪がともちゃん!)
大湊の特別ゲスト パート2でした
(一年次は秋篠宮さまでしたよね)
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さてさてそんなこんなで
奉曳車はやっと内宮到着

内宮前広場でしばし休憩
伊勢音頭など輪踊りを披露

居合わせた参拝客はびっくり
まさかこんなのが見られるとは…
とそこらじゅうで声がしています
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この後奉曳車はおはらい町を
内宮宇治工作所へ向けて進みます



観光客でいっぱいのおはらい町
二階からこんにちわ

二階より高いんですな奉曳車
夕暮れ時のおはらい町を
浦田橋経由で工作所まで行きます

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まるまる一日
大湊のみなさん、大役おつかれさまでした
皆さんの笑顔と日焼けした顔が印象的
1点、気になったことがあるので、ご確認を。
昨日、大湊が運んだ内宮正殿の棟持柱は、将来、神域側(聖界側)の大鳥居の柱に、6月2日に小川町が運ぶ外宮正殿の棟持柱は、将来、入り口側(俗界側)の大鳥居の柱になります。
大湊の棟持柱、今日だったんですね・・・。
見れませんでした。
と、いうのも我が団の上せ車だったのです!
去年とは打って変って晴天、うれしかったです。
来週の土曜日の本日、晴れるといいなぁ。
しかし大湊、川も陸も、それどころか特別なコース
特別なお木を運ぶ、なんて贅沢なとこなんでしょう。
(しかも特別ゲストつき)
なんでこんなに特別でしたっけ?
余談ですが、ともちゃん休業中でしたよね?
(心身のバランスが崩れたとか)
伊勢志摩で実はリフレッシュしてたとか?
ご指摘ありがとうございました
私、勘違いしていました
やまちゃんさんのおっしゃるとおりで、聖域側が内宮棟持柱、俗世側が外宮棟持柱でした
ご指摘いただいたところは、写真もあったので削除しました
これからもよろしくお願いします
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■元伊勢市民さん
上せご苦労様でした
ほんま天気もよく気持ちよかったのでは?
今度の土曜日、晴れることを祈ってます
大湊、ほんま特別ですね
なんでだろ?
橋一本でつながってる島だから?(爆
(おいおい二見も『島』だよ)
そういやともちゃん、休業中でしたね
リフレッシュしにきてたんでしょうか?
でもあんだけもみくちゃにされたら、リフレッシュどころじゃない…、て感じでした
外宮の棟持柱、いつの間に内宮に運ばれるのでしょう?
あと、遷宮は遷御がクライマックスですが
当然、古い方の棟持柱がリサイクルされるのはその後、
解体(?)されてからになりますよね。
いつの間に新しい鳥居になってるのでしょうか?
前回の記憶が全くないのですが
新しい鳥居のお祭とかありましたっけ?
あと所謂125社の遷宮もその後続くはずですが
いつの間に新しくなるのでしょう?
(ちょっと見学したい)
そうそう。125社参りコンプリートしました!
鴨神社、道のり大変で大変で着いたときは
本当に清清しい気持ちでいっぱいでした。
(二見の神前神社もすごかったですが、
ここは階段とかなく急な斜面の山道でした。)
お弁当を持っていって境内で食べました。
(罰当たり?ゴミはちゃんと持ち帰りました)
自己弁護、本当に弁当持ちくらいじゃないと
行けないとこなんです。
当然、ここも遷宮するはず。(用地がありました)
どうやって運ぶのでしょう?
前もって鳥居埋めておいて、遷宮直前に水やって、にょっきり出すか?−ウソ。
ええ加減な記憶を紐解きますと宇治橋渡り初め式に合わせて仮橋建設中に立てていたのでは。
前回は昭和天皇が病気療養中で報道が限定されていました。
あれ?白石持ちの前になりますよね?
宇治橋架け替えと一緒にするのは道理にかなってる
気がするのですが、
そうなると、やっぱりまだ「遷御」前で
新しい方と今までの方の二つが同時に立ってる時の
気がするのですが。
そこで私の仮説ですが、
鳥居の加工期間とかもあるので、
次の鳥居に使われるのは今の遷宮のものではなく
前回の遷宮の時のものではないでしょうか?
だから実際は
棟持柱(20年)→加工期間(20年)→鳥居(20年)
→関などへ(20年)
となるのではないでしょうか?
いや、神宮の方や製材所の方には常識なのかも。
なお宇治橋のみ4年早い製作は、戦後すぐの遷宮を4年延期したためにズレが生じたものです。これは先代から聞きました。