水門祭→これで「みなとまつり」
水門神社の例祭で県の無形文化財
2月2週目の土曜、串本の大島へ
祭りは、神巧皇后の伝承が由来
新羅遠征の後、幼い皇子
(応神天皇・ホムダワケノミコト)を連れ、北九州から
仲哀天皇の遺骸と都に向かおうとした神巧皇后
ところが、仲哀天皇の2人の御子が、
皇后と応神天皇を討とうと瀬戸内で待ち伏せ
危険を察した武内宿禰(タケウチノスクネ)が、
南海道に迂回するよう皇后に進言
それに応じた皇后一行は、行幸の途中、
紀伊水門浦の通夜島に立ち寄られました
このとき、大島浦、串本浦、出雲浦から
それぞれ住民が迎えの船を出しましたが、
一行は大島浦の船にお乗りになられました
と、口伝として残されています
まず、お的
神社境内にて、成人男子が弓の奉納
こちらは大座の後の直会
神社拝殿前にてゴザを敷き、
島の古老や漁業関係者が集います
マグロが猛烈うまそう
お弓の後は獅子舞
大島の獅子舞は「オン獅子」=雄
といわれてるそう
頭のとこから出てる毛が
5色もあるのは珍しいと古老
天狗さんも勇ましく登場
このあと、祝宴と獅子が終わると
一行は船に乗り苗我島へ〜
神事の祭場へ運ぶ魚、これ、、、
神宮さんからの鯛とか!?
☆つ・づ・く☆
2015年02月21日
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