2007年03月14日

二見十景・十/清渚

二見十景目次

一、夫婦岩 ・ 弐、五十鈴川 ・ 参、御塩殿 ・ 四、潜島 ・ 五、高城濱
六、濱荻 ・ 七、西行庵 ・ 八、太江寺 ・ 九、音無山 ・ 十、清渚


●『二見十景ってなんじゃ?』…はこちら↓
http://hamasanguu.seesaa.net/category/2091208-1.html


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kiyo2.jpg
浪越すと二見の松の見えつるは 梢にかかる霞なりけり
西行

立石より今一色村の 邊迄あたりまで磯邊いそべつたいをいう
参宮名所図会より

西は今一色より東は松下に至るまで,二見海岸一帯の総称なり
二見十景(昭和4年発のオリジナル)より

(参宮名所図会が神前岬辺り…,松下を含んでいないのは)

(松下はこのころ…,明治期まで二見ではなく宇治郷だった)

(…からでしょうか?)



二見浦は夫婦岩(立石)から今一色まで約4km
宮川・五十鈴川からのきめの細かい砂が遠浅になった
黒松が茂る弓状に湾曲して広がる海岸です
DSC04987.JPG
(朝熊山より,二見の海岸…,清渚)


それぞれ今一色あたりの高城浜
御塩殿あたりを打越浜(うちこしはま)
夫婦岩近辺を立石浜といいます


それに神前海岸を含めた総称が清渚です


高城浜は明治までの外宮神官の祓い浜…
立石崎の近辺は庶民の禊い浜…
(現在の二見興玉神社,浜参宮ですな)
打越浜は元御塩浜
神前海岸,祓島は内宮の贄海神事…


それぞれ伊勢神宮と関係の深い海岸
もしくは禊の浜となっています
それゆえ,清渚…,と呼ばれるのでしょう
●高城浜のこと
⇒二見十景・五/高城浜
http://hamasanguu.seesaa.net/article/30578557.html

●立石崎のこと
⇒二見十景・一/夫婦岩
http://hamasanguu.seesaa.net/article/25886938.html

●打越浜…,元御塩浜のこと
⇒二見十景・参/御塩殿
http://hamasanguu.seesaa.net/article/27752595.html

●神前海岸…,祓島のこと
⇒二見十景・四/潜島
http://hamasanguu.seesaa.net/article/28638551.html
ちなみに…
興玉神社の氏子衆である江・茶屋地区は
旧神領民奉曳団としてこの 『清渚』 から
名前をもらっています
DSC07177.jpg


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また,二見浦の海岸,清渚は
日本で初めて公式海水浴場として認められた海岸です


江地区に「海水浴開典祝文」なる
16通の文章が残されています


いずれも明治15年(1882年)10月19日の日付
となっているそうです

この日をもって二見浦の海岸は
全国初の公式海水浴場として開かれたことになっています


もっとも当時の海水浴という概念は
温泉での湯治という感覚に近かったようで
医療目的でした


夫婦岩の周りには岩石が露出した所が多く
その周りでは波が強く皮膚を摩擦するのに良い
と考えられていたそうです


海の海水に浸かることを冷浴といい
また海水を沸かし,それに入ることを温浴…
ほんまに温泉気分,というわけで


現在二見の歴史を物語る建造物
賓日館入り口門脇に『二見浦浴潮場石表銘』なる石碑があります

DSC07188.JPG

そこには…
皇大神が俗界に降りて来られて,太陽の光が夜明けを告げる。この二見浦の海水に浸かれば,神の恩恵を得た波が打ち寄せ,医療効果・治癒効果がある。我が国の民,伊勢国の民はなんと幸せなことか。
というような
時の内務省衛生局初代局長・長与専済の漢詩が刻んであります
(明治18年4月)

DSC07189.JPG


また,明治17年,宿舎を建設し温浴室をを設けた
という内容の文章が山田原地区に残っているそうです。
今のちょうど賓日館の場所…
賓日館の前身の建物(二見館)がそれだとか


●賓日館⇒http://www.hinjitsukan.com/


賓日館にはこの頃の海水浴の風景が描かれた
錦絵が多数展示されています
(賓日館は明治20年建設)


この後明治39年,現在の旅館街の道が整備され
二見は当時全国屈指のリゾート地
海水浴のメッカとして発展していきます
kiyo.jpg
(旅館街裏の松林)


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このような歴史のある清渚
風景として眺めるのもなかなかです


海岸の堤防に座ってボーっとしているのもよし


弓状に今一色へと続く
松林の青い長い海岸が見られます
kiyo4.jpg


伊勢湾内ということもあって
波も比較的穏やか


打ち寄せる波に洗われる貝殻
kiyo6.jpg


きめの細かな清渚特有の砂には
風紋が出来たり…
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案外大きな松が生える松林
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見過ごしがちですが
おもしろい,心和む風景が
清渚では見られます


二見にすむものにとって
一番身近な海…


しかし一番二見らしい
独特な風景が広がっているのが
実はこの一番身近な海
清渚なのではないでしょうか


当たり前すぎて気づかない景色…


まさに十景の最後を飾るにふさわしい
それが二見浦,清渚ではないでしょうか

funetori.jpg

天照大神が倭姫命におしえてて曰く,この神風の伊勢の国は,常世の浪,重浪しきなみせる国なり,傍国かたくに可怜国うましくになり,この国に居たいとおも
日本書紀



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『二見十景・十/清渚』
(+をクリックしてもらうと拡大,−をクリックしてもらうと広域…)
(上下左右の矢印をクリックしてもらうと,それぞれ北南東西移動…)
(オレンジのマーカーの黒丸部分をクリックしてみてくだされ…)

なんも言うことございません
ぜひ 『航空写真』 で清渚の風景をお楽しみくだされ




posted by 浜参宮観察隊 at 17:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見十景> 二見十景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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