2006年12月01日

二見十景・四/潜島

二見十景目次
一、夫婦岩 ・ 弐、五十鈴川 ・ 参、御塩殿 ・ 四、潜島 ・ 五、高城濱
六、濱荻 ・ 七、西行庵 ・ 八、太江寺 ・ 九、音無山 ・ 十、清渚


●『二見十景ってなんじゃ?』…はこちら↓
http://hamasanguu.seesaa.net/category/2091208-1.html


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二見町の北東端が伊勢湾に突き出た所
神前(こうざき)岬に『潜島(くぐりしま)』
というところがあります


あっ、といっても島ではないのですよ


地質的には『海食洞門』といいます


手っ取り早く言えば、岩が波でアーチ状に削られ
ちょうど門のようになっているのです


まぁ『潜れる島』ということなんでしょうか?


潜島へ行くには
五十鈴川派川(江地区側の五十鈴川)河口から
堤防を延々と歩くことになります


(車でもいけないことはないけど・・・)


(あまりオススメはできません…)


延々と歩くと堤防が山にぶつかります
そこに潜島の説明看板があります


というわけで
この看板を読んでください

はい、読んでください


潜島の説明が書いてありますね


というわけで
余計なことは書かずに
今回はこの辺で…
さよーならー





……





いえ、きちんとレポートしますです、はい


さて、堤防も切れたことですし
海岸を歩きましょうか

海岸を歩きますよ


ここにはこんな境界表示が…

境界表示が…


『建設海岸基標 No15-2 終点』
何が終点なんだろ?


…確かにここから東側(鳥羽方面)はリアス海岸になります
(正確には夫婦岩のところが伊勢平野とリアスの境界線)
ここで砂浜終わり!というサインでしょうかね?


まぁいいや
先へ進みましょう


さすが(?)は神前海岸、岩がゴロンゴロンしてます
多分、山から崩れてきたんだろうな

ゴロンゴロン


またデカいんですわ、これが

でかいわ


ここの沖は昔から
『伊勢の神前、国崎の鎧、波切大王なけりゃよい』
と歌われたほど鳥羽・国崎沖、志摩・波切沖とともに
海の難所だったそうです


今でも実際この沖の潮の流れは速く
伊勢湾の最深点(深さ約60メートル)
はこの神前岬沖です


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やがて海岸も尽きて岩場になります
えっちらおっちら軽く岩登り


(あっなので決してハイヒールで行ってはいけません)


(…ハイヒールって、誰が行くんじゃっ)


ふぅぅ、と一息つくとそこに鳥居があります

鳥居じゃ


潜島は、池の浦(二見と鳥羽の境の入り江)にある内宮摂社
粟皇子(あわみこ)神社の遥拝所だったとか
そのためだからでしょうか


鳥居を潜り、もう少し!
と思ったら、まだ岩場でした…

まだ岩場!


この先、ほんまに岩場伝いやん…


ふへぇ〜、という言葉が出るころ
やっとアーチが…


『潜島』です

はい潜島です


きちんとアーチ状になってるでしょ?

アーチでしょ?


本来、ここには注連縄が張ってあるんですが
…どうも切れて無くなったみたいですね
わずかに左のほうに切れ端が…


あぁそうそう
この写真を撮りに行った日
これでも大潮の干潮時なんです


海が荒れてねぇ…
エラい波でした


帰りも、もう…

帰りも、もう…


本来なら潜島を潜れるはずなんですが…


無理っ!
帰ります


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あっ注意です!


潜島、ほんとに大潮の干潮時しか無理そうです


潜島の注連縄替え
毎年旧暦の六月一日にやるそうですね


旧暦は一日は新月、十五日が満月


なので大潮の時に注連縄替えをしているわけですね


新月か満月の日を狙って行って下さい


いや、ほんま大潮の干潮以外には潜島
行けないっすよ


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それともう一つ…


潜島の沖に大きな岩礁があります

祓島


この岩礁はチェックです!


単なる岩礁ではなく、祓島という名前がついてます


明治になるまで毎年六月十五日(旧暦の)になると
内宮の禰宜さんがお供を引き連れ
馬に乗り内宮を出発、鹿海で舟に乗り換え
五十鈴川を三津の湊に立ち寄って江の河口に至り
この岩の前まで行ってたそうです


そして海水に浸かり身を清め干潮を待ち
潮が引いたらこの祓島に渡り
三種類の海草を取ってたんだそうです


そしてその海草を内宮へ持って帰る…


これを贄海神事といって鎌倉時代には
すでに行われていたそうです


なので祓島、別名を『御饌(みけ)島』というそうです


御饌とは神様への供物のことです


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『二見十景・四/潜島』
(+をクリックしてもらうと拡大,−をクリックしてもらうと広域…)
(上下左右の矢印をクリックしてもらうと,それぞれ北南東西移動…)
(オレンジのマーカーの黒丸部分をクリックしてみてくだされ…)

posted by 浜参宮観察隊 at 00:48| Comment(3) | TrackBack(0) | 二見十景> 二見十景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
待ってました!!
潜島!!

気にはなってたけど、なかなか行けない・・・。
そしてやはし、難所なんですな。

地元の松下の皆さん。
毎年、注連縄張っても切れることなんて
前提なんですよねえ。
簡単に行けるとこじゃないし、夫婦岩みたく観光地でもないし。

あ!!
『祓島』ってこれなんだ!!
どれくらいの大きさなんかしら??
潜島からどれくらいの距離??そんな遠くない??

『御贄神事』いい祭りじゃないかあ。
またやってくれないかなあ。神宮さあん〜
Posted by 磐子 at 2006年12月03日 21:55
粟皇子神社、神前神社、1ヶ月ほど前に行ってきたのですが
両神社とも「高潮の被害」「浸水によって社地を失い」のため
現在の場所に移転した、とあったので
このあたりの海の厳しさを感じられました。
(現在の場所もある意味「厳しい」所なんですが)

『御贄神事』、神職も人の子、ってことでしょうか?

はっ、『御贄神事』を復活させたりしたら
某御塩殿の方のように神宮に永年勤続で雇ってもらえる?

・・・まぁ、私には無理ですが。
Posted by 元伊勢市民 at 2006年12月06日 09:18
■磐子さん

興玉神社から神前岬のほうを見ると,岬の先に岩が見えますよ。
それが祓島ですわ。
こいつは常に見えてます。
神前岬の下に黒っぽい岩の影が見えたら,それっ!

『御贄神事』…もちろん昔どおりに馬乗って船乗って…。
でも興玉さんも5月によく似たことを…

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■元伊勢市民さん

神前(こうざき)って,昔は『荒崎』と書いていたそうです。
かつて粟皇子神社があったといわれる池の浦の中ノ島は
今でも二見と鳥羽の境界として波間に顔を出しています。

池の浦のど真ん中にある岩礁です。
すぐわかりますよ。
でもこの岩礁も地震で沈降したので
粟皇子さんは陸に避難してきたとか。

でもその避難先(現在よりもう少し海岸より)も波風にやられて…

だそうで。

> 某御塩殿の方のように神宮に永年勤続で雇ってもらえる?

こちらは体力も要りそうですな…
Posted by 観察隊Y@管理人 at 2006年12月06日 17:16
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