2006年11月11日

二見興玉神社…、昔は?

二見興玉神社
興玉さんの創建は明治43年。江にあった太江寺の興玉神と茶屋の氏神を合祀して出来た神社で、意外に新しいんです。


二見十景・一/夫婦岩より
http://hamasanguu.seesaa.net/article/25886938.html


そこで疑問です…


じゃあ、明治43年(1910年)以前の二見興玉神社は?


---------------------------------------------------------------------


そこに何も なかった、ようです


ここに一枚の絵があります

昔の興玉さん…


寛政9年(1797年)発行の参宮名所図会という
当時の、まあ観光ガイドに載っています


この絵を見ると、夫婦岩があるだけですな


神社も何もない…


なにやらみんなで盛り上がっているあたり…


今の興玉神社本殿がある辺りでしょうか?


まぁ正確には何もなかった…、わけではなく
小さな祠がありました


上の絵の左下…
まぁちょっと拡大しますわ

左下拡大〜!


なにやらあるのがお分かりで?


ちょっと書き込みいれてみます

書き込み付き


おそらく、間違いなく…
右の祠は今の天の岩屋


左の祠は、今の富士見橋、
蛙さんがいっぱいいるところでしょう


今の興玉さんでみるとこうなります

今はこんな感じ…


こちらは天の岩屋

天の岩屋


今度ぜひ、岩屋の中をのぞき込んでください
洞窟になってます


先ほどの参宮名所図会にも
穴ありて、昼も火をともせり』
と書いてあります


岩屋の中、今も明かりが点いてます


左の岩盤、蛙さんがいっぱいいるところは…


これですわ

蛙さんの岩盤


階段になっているのがわかりますか?
名所図会の絵も階段状になっています


この階段状の岩盤の上にあった祠は
三宮(しゃぐ、しゃぐし)神社といい
興玉神社の門前街
茶屋地区の氏神さんだったそうで


ちなみに上の写真の
左に写っている白い大柄の蛙さん
二十年ほど前まで手水場で水吹いていました


---------------------------------------------------------------------


さて、最初の昔の夫婦岩の絵
参道らしきものが見えませんが


当時は山(音無山)から
直接海へ降りていたみたいです


今の社務所の裏の山です

社務所裏山


この写真、拡大して山をよく見てくださいな


山に電柱が見えます


ここに昔、道があったそうです
二見のトンネルができるまでの…


そうそう、二見のトンネル(小さいほう)は
昭和24年にできてます
ほら・・・↓

二見のトンネル看板


実際、興玉さんの入り口堤防から
山を見てください

正面から山


鳥居のちょうど上
山が切れ込んでいるのがわかります


ここは切り通しになっていて
道があるらしいのです


…らしいのです、というのは
昔の地図では、ここに道があります
(うわっ、今手元にない!)


トンネルができるまでの
山越え道、だったそうで…
この記事へのコメント
興玉さん。
今でこそ観光地化してて、表からスイスイ行けるけど、そんな裏道?が残ってるなんて。
復活、させましょうか??【苦笑】

本殿ウラから竜宮社へ続く裏参道。
あれも出来たのは昭和の初めくらいでしたっけ?

夫婦岩自体は、倭姫さんが来た時にあったとか無かったとかで、歴史は深いんだけど、神社自体はまだ
若いんですよね〜

二見の最高齢のおばあちゃんより若い??【笑】
Posted by 磐子 at 2006年11月11日 22:01
なんてグッドタイミング。

昨日、昭和15年生まれの父親と
トンネルが出来る前の道の話してました。
絵の時と比べたら最近の話ですけど。

「リアカーのうしろ、よぉ押させてもらったわ」

どうやらコキ使われていたらしいです。

探検してこよっかなぁ。
Posted by at 2006年11月12日 05:23
昔の山越え,茶屋側は
二ューパーク駐車場で潰れてるみたいですな。

昔現ニューパークにあった旅館,臨海楼に
国道側にも旅館入り口がありまして…
その建物ののっかってた部分
今思うと山越え道部分だったのか?

江側は,これまたどうも旧トンネル取り付けで
潰されているみたい…

あくまで見た目では…
Posted by 観察隊Y@管理人 at 2006年11月12日 13:07
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック