宿題のアセリとともにやってくるのが
我が地区 三津の会式です
稲生神社の大祭があって
20日の朝から町内にぎやかです
観察隊Mが子どもの頃は
この会式は毎年8月24日
でも5,6年ほど前から
末の日曜日に変わりました
それに女の子は浴衣着て
道中踊りをやってたけど
子ども人数少ないからか
男の子も女の子も神輿に
かわりました
稲生神社
二見町三津地区,ちょうどJR二見浦駅の真裏山裾にひっそりとあります。地区の人々には氏神様のような存在で,明治42年に二見町内各地区の氏神様を合祀してできた二見神社(溝口地区)から,昭和23年に分離してまた現在の場所に戻ってます。祭神は宇賀之御塊大神・大山祗大神・応神天皇。(二見町史より抜粋)
***********
三津の稲生神社のお祭りです
子ども神輿が町内まわります
お天気上天気 太陽カンカンでした・・・
この日はこの飾りがあちこちにたてられます
お祭りやーの気分盛り上がります

まずは神社でお祓い
興玉神社の神職さんだっ

みんなで集合写真
神社の杜は涼しいのです

そして出発
男の子の神輿と

女の子の神輿

軒先には提灯が

みんなのおうちをまわります
ワッショイ ワッショイ

女の子たちに男の子神輿が
抜かれそう

この団扇でかなり心地よい風が
吹きます
ずいぶん助かりました

狭いですからね三津の中の道
ナナメってます 神輿・・・
町内ぐるっとまわって
最後は地区にあるケア施設へ

おじいちゃん
おばあちゃん
玄関に出て待っててくれました

女の子の神輿は軽いから
威勢よく・・・見えません

これが今日三津内をまわった
神輿の全貌!です
かわいい女の子版

きらびやかな男の子版

この日は神社でくじ引きやって
夜は輪踊りにちょっとした出店で
夏の終わりに楽しい一日です
うちの町内でも何年かに一度「お稚児さん」が
あるらしいのですが(引っ越してきたのでわからない)
子供が足りない、子供が足りないと申してました。
20年後のお木曳き大丈夫なんでしょうか?
残すべきものが残らなくなる事情というのは,それを残すべき地元の人たちが気づいてない…,といったら怒られるかなぁ…
そんなこと思いますね。
20年後のお木曳き…
40年後も60年後もきちんと残っていてほしいですね。
「元」ではなくちゃんと伊勢市民にもどる予定です。
40年後のお木曳きは平均寿命で考えたら
がんばれば参加できるはずです。(たすき参加?)
60年後は・・・医学の進歩を信じつつ
ずいぶんがんばらにゃあなりません。
しかし添加物やらお腹いっぱい食べて、
公害とかも深呼吸してきた世代だからなぁ。
「わしの目の黒いうちは・・・」ですね。
(黒くないって白内障になるってことでしょうか?)
ウチの近所に目指せ5回目のお木曳き!と元気付く木遣りの大将じいさんがいましたが,一昨年なくなりました。
そうそう,伊勢出身でほとんど無名ですが,竹内浩三という詩人がいて(朝熊山に彼の石碑があります),こんな詩を書いてます。
(ちょっと長いけど…)
----------------------------------------------
宇治橋
ながいきをしたい
いつかくる宇治橋のわたりぞめを
おれたちでやりたい
ながいとしつき愛しあった
嫁女(よめじょ)ともども
息子夫婦ともども
花のような孫夫婦にいたわられ
おれは宇治橋のわたりそめをする
ああ おれは宇治橋をわたっている
花火があがった
さあ おまえ わたろう
一歩一歩 この橋を
泣くでない
えらい人さまの御前(ごぜん)だ
さあ、 おまえ
ぜひとも ながいきをしたい
----------------------------------------------
彼は21歳で戦死をしてますが,なんか,伊勢人らしい,いい詩だなぁと思います。
なおかつ、完全な健康体という
(風邪はもちろん虫歯も駄目とか)
宇治橋の渡り初めですね。
壮大な夢ですねぇ。
親、子、孫夫婦が健康を維持するのも大変ですし、
少子化の一因である30過ぎてからの初産とか
考えると2代目に子供が産まれるのが60歳、
その孫が結婚すると90歳、おぉぉぉ。
25歳で計算しても75歳。それが丁度渡り初めの
20年にぶつけるのはなかなか大変。
考えれば考えるほどすご〜く難しい夢です。
渡り初めのあの人たちはすごかったんだ!!
そこまで深く考えなかった…
すごいことですね、たしかに
宇治橋渡り初め…