いきなりなんじゃ?と思われるでしょうが
実は二見に太平洋戦争の痕が人知れず残っております
アメリカ軍が爆撃に来たとき、あまった爆弾を投棄した痕…
地元では『爆弾池』という名前で知られています
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「あぶない」みたいですが
ここが噂(?)爆弾池入口

つったか つったか
田んぼの中を
木々の間を
すすんでいくと・・・


発見!爆弾池!!!
結構深そう


(直径10メートルほどのきれいな円形です)
二見クリーンセンターの建物の
裏です

お隣ではこんな感じで
稲が実っております

のどかな風景です
緑の山に
青い空

んっお城・・・
安土桃山城でする

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ええっと、ちょっとここで…
伊勢市(当時は宇治山田市)が初めてアメリカ軍の爆撃を受けるのが1945年の1月14日です
『宇治山田に初空襲。爆弾で外宮の斎館・神楽殿が崩壊、岩渕町、錦水橋付近に被爆、岡本町の宮崎文庫が全壊する』
慶応大・林英一氏調べ『三重県の空襲年表』より
http://web.sfc.keio.ac.jp/~s03747eh/index.html
1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに全国主要都市への爆撃が本格的になります。地方都市への爆撃が本格化するのは、1945年の6月頃からといわれます
それまで上記のサイトのように単発的な主要都市への爆撃はありましたが、地方都市である宇治山田市への初爆撃は主要都市並みに早かった、といえます
宇治山田市への爆撃、これは、当時の日本の国家的重要地だった『神都』を攻撃することで日本人の戦意を低下させる狙いがあったといわれてます
こういう機会に、戦争や平和や…云々、を考えるのもいいかもしれません
※二見にある爆弾池を形成した爆撃がいつのかは定かではありません。でも、ここには元々田んぼがあって、それは管理人の友人のウチの田んぼでした。友人の祖母はアメリカに田んぼをやられた!とよく怒ってたそうです
身近にこんな爪痕が残っているなんて
考えさせられます。
戦争を知る人がだんだん少なくなってきました。
今の裕福な時代からすると、全然想像もつかない世界です。
平和な日本に感謝、戦い抜いてくれたご先祖さまに感謝、であります。
8月15日、靖国神社では・・・・。
小学校の時に社会科見学で連れってもらったのですが
くわしい場所が思い出せないです。
話はそれますが、今上陛下が疎開されたおり、
疎開地にも爆撃の恐れがあり、
当時の侍従が「人のままではお守りしきれない、
魂魄となってお守り申し上げねば」
と、自害(という言葉はふさわしくないかも)
しかけたそうです。
生身の人より魂魄の霊力、という思想、
「神都」宇治山田市を狙ったのが理解できます。
ありました、ありました。
外宮の勾玉池の防空壕、小さい頃おじいちゃんにつれってもらって、見ました。
母もこの防空後に入ったそうです。
でも、今は、神宮の森に入れないよう周りフェンスしてありますよね、あれでもう見れないのでは?
というか、全国的に子供たちが遊んで危ないからって防空壕って埋められていますよね?(この間も九州のほうで、豪内で焚き火して一酸化中毒化何かで子供たちが亡くなっていました)
でも、防空壕って確かに小さい頃、探検と称してよく探しに行きました。
外宮のも埋められているかも…。