4月16日,志摩市磯部町で行われたお木曳。
まちの至る所にこのポスターが
貼ってありましたです。
合併後、はじめてのお木曳とあって
綱の曳き手は800人ぐらいとか。
盛大に行われておりました。
いーお天気でヨカッタデスねー。
志摩の木遣りも威勢よく。
法被の背中はこんな感じ。
そして夕方5時過ぎ。無事
御敷地に曳きいれられた
お木と、現在の伊雑宮。
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そうなんです。
お木曳きは伊勢だけじゃないんです。
内宮別宮,磯部の伊雑宮さん
ここももちろん遷宮を迎えます
そして,お木曳きもあります。
『お木曳き』=『伊勢』という雰囲気のなか,
ちょっと目からうろこ…,です。
なお,この日は大紀町(旧大宮町)の
滝原宮でもお木曳きが
行われていました。
こんな感じだったようです。
(みえ『道の駅』ユーザーズくらぶのサイトより)
そうなんです。
お木曳きは伊勢だけじゃないんです。
伊雑宮,滝原宮とともに,古くから皇大神宮(内宮)の遙宮(とおのみや)と称せられて尊ばれてきたお宮。伊雑宮,滝原宮ともに『倭姫命世紀』(鎌倉時代初期〜中期?)によれば,内宮が今の五十鈴川上流,宇治の地に鎮座される以前に遷座されていた地,であるという。
2006年04月18日
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それと・・・。
木遣り歌は伊勢のものと近いんでしょうか?
節回しとか。
聞いた印象はどうでしたか。
また教えて下さい。
しかし、スミマセン・・・木遣りの歌詞まではメモって
こなかったですー、でもでも明日志摩に行くから調査!
してきますっ。
伊雑宮でも滝原宮でも本殿の隣に遷宮用の敷地がありました。
まだ80社くらいしかめぐってないので定かではありませんが
小さいところでも遷宮用と思われる土地がありました。
神宮の別宮は当然ながら
摂社・末社まで多分遷宮するんじゃないでしょうか?
神宮ではない伊勢の神社でもあるようで
例えば内宮さんのお膝元の宇治神社にも遷宮用の土地がありました。
憶測ですが、神明造りのところは遷宮をするかも?
逆に神明造りでない猿田彦さんとか興玉さんは聞いたことがないですよね?
ウチのすぐ近所に小さな小さな末社があります。そこも遷宮をします。代替地もあります。この間(といっても13年前か…)の遷宮で新しくなりました。
摂社末社は確か,内宮,外宮が終わり次第暫時,ということだったと思います。
> 逆に神明造りでない猿田彦さんとか興玉さんは聞いたことがないですよね?
『本殿立て替え』という感の遷宮は,興玉さんは,どうだろ,10年ぐらい前ですか…,やってましたよ。たしか遷宮という言葉を使ってました。今の拝殿・本殿はそのとき新しくなったものです。
猿田彦さんも立替という名の遷宮をやったみたいですね。聞いたことがありますし,新しくなった(広くなった)気がします。
でも,2つともどう見ても立替,ですね。現在定期的な遷宮,『式年遷宮』というものはありませんね。
古くは有力神社のほとんどは『式年遷宮』をやっていたそうです。現在この制度が残っているのは,伊勢神宮(含別宮,摂社,末社),大阪の住吉大社だけだそうです。
そうそう、神宮さんの125社は順次、遷宮してるはずですね。 末社さんなんかですとつい最近、遷宮が終わった、なんてとこもあるんじゃないですかね。・・・確か記憶が正しければ【苦笑】
興玉さんもそう、遷宮は10年前ですね。平成8年。
神宮さんみたく、古殿地に新しいものを建てる、とういう形ではないですが。
神宮さんに倣って20年で立て替えるんじゃないんかなあ。今年は中遷宮の年かな。
(20年に一度というのは全部終わるのに20年近くかかるから?)
記憶が定かでない話なんですが、遷宮で出る古木は
有名所の木(?)はどこそこへと決まっているとか。
摂社・末社は古木の再利用なんでしょうか?
再利用といえば宇治橋も今回は造替ですよね。
この木もお木曳きするのでしょうか?
前回の大修繕の時、見ていたはずなのに思い出せない!
(渡り初めとかはしっかり覚えているのに)
やっぱりDVDお願いしたいですね。
その20年後には七里の渡しと関の追分の鳥居となる
とか・・・リサイクル リサイクル
宇治橋渡始式は今回は平成21年の11月
それに先立ち宇治橋渡納式はその年の1月です
お木曳は今年と来年と聞いてるけど
どうなんでしょうか 宇治橋のは
■磐子さん
えっとですねぇ、私も記憶で…、の話なんですが、ウチの近所の末社は神宮遷宮後1、2年以内に立て替わってたように思います。あらもう…?と思った覚えがあります。
だから、意外に早いんではないでしょうか、すべての立替。一つ一つ順番に、じゃなく、ある程度一度にわっと立てるのか?すいません、調べときます。
興玉さんはそうですか、平成8年でしたか。正確な年忘れてました。
ぶっちゃけ私Yは興玉さんの目の前に住んでいます。チビのころの遊び場も興玉さんや夫婦岩でした。前の拝殿、本殿はチビの時から替わってませんでした。平成8年てことは私は25歳です(歳ばらして…)ので、20年に一回、ではなさそうです。古殿地の隙間もないですし…。
思いつく理由は…、その数年前に宮司が変わったこと、かな?今の宮司に変わってから興玉さんの経営方針(…?まぁ法人ですので…)が変わったように思います。
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■元伊勢市民さん
> 20年に一度というのは全部終わるのに20年近くかかるから?
上で書かせてもらいましたが、そんなに時間はかからなかった、と思います。
> 遷宮で出る古木は有名所の木(?)はどこそこへと決まっているとか。
えっと、内宮棟持柱が宇治橋を渡ったところの鳥居に、外宮棟持柱が宇治橋入り口の鳥居になる(逆だったかな?)はずです。で、20年を鳥居で暮らし、その後の20年は桑名の七里の渡し跡に立ってる鳥居と四日市・日永の追分(関の追分だったかな?)の鳥居になる、と記憶しています。
結局60年使われるんですねぇ。
それ以外の古木もお守り等に再利用…、じゃなかったけ(すいません、これはうる覚えです)
> 摂社・末社は古木の再利用なんでしょうか?
ウチの近所の末社は真新しかったですよ、遷宮後。確か摂社、末社も新しいお木で造営するんじゃなかったかな?すいません、不確定で。
> 再利用といえば宇治橋も今回は造替ですよね。この木もお木曳きするのでしょうか?
宇治橋立替中の仮橋渡りましたよ。なぜかよく覚えてます。宇治橋下流側になんかとってつけたような仮橋。
お木曳きで曳き込むお木は、どれに使うか決まっているんでしょうか?
大湊の曳く内宮棟持柱、小川町(中島町)の曳く外宮棟持柱、この前の役木曳きで引きこんだ両宮5本ずつのお木以外は用途は、どうなんでしょうか?
調べときます。
> やっぱりDVDお願いしたいですね。
前回の遷宮でご神体のお移りになる行事(なんだっけかな?名前)を初めて赤外線カメラで記録に残した、と言うことを覚えてます。
あれから技術も発展しまっくているので、いい記録が残る事を期待しますね。
そうそう、鳥居になって七里に行ってでした。
その60年後のものか実家の表札の木も御用材だと聞きました。
>前回の遷宮でご神体のお移りになる行事(なんだっけかな?名前)を初めて赤外線カメラで記録に残した、と言うことを覚えてます。
遷御ですね。手元に資料があるのですが
『鶏鳴役所の宮掌が「カケコー」と三声、長くとなえる』とか
秘曲の奉奏とかすごく気になることが書いてあります。
今、徴古館で遷宮の展示をしているので近々見てこようと思ってます。
神宝と装束、前回(いや、前回は現行のものだから前々?)のものが展示してあるとのこと。
と、また新たな疑問。その前々々回の神宝とかはどうなったのでしょう?
徴古館の人に聞いてきます。
■元伊勢市民さん
>『鶏鳴役所の宮掌が「カケコー」と三声、長くとなえる』とか
>秘曲の奉奏とかすごく気になることが書いてあります。
うわっ!すんごく気になる!すごいこと書いてある資料をお持ちで。なんだか、一番鶏が鳴く前に退散するこぶとりじいさんの鬼、みたいですね。
そうだそうだ、徴古館、行かなきゃ。
ちなみに今日(24日;レス遅くなってすいません…)神宮文庫の友人からの情報によると、内宮前、林崎文庫が今日から公開、だそうです。
(いつまでかは聞き忘れた…)
ちょっと関係ないですが、見てこなきゃ!と思ってます。