海育ち二見産のわたくしにとって
川の流れのオソロシさを
身をもって体験したたのが
今日の役木曳。
昨日の大雨から心配で心配で
今朝まで気が気じゃなかった
役木曳。別名・御木曳初式。
もうすぐ始まるお木曳行事の
スタート合図ってところですかね。
わたくしたちの団は
連合で内宮別宮・荒祭宮
の棟持柱用のお木を納めます。
夜のウチには、川で曳けないかも、なんて
噂も出て、たぽたぽでも川で曳きたい〜と
てるてる坊主まで作ってみました。
川曳決行!のメールで目が覚め
五十鈴川へ行きました。
嵐の昨夜に見た五十鈴川より
水位は低くなってるけど
お水たぽたぽ。
いつもの清流・五十鈴川とはほどとおぃ…
お木はいよいよ五十鈴川へ。
そしてわたしも五十鈴川へ。
入った瞬間は冷えっ、だけど、
ま、慣れたらなんてこたなかった。(この時は)
掛け声出して動いてれば
冷たい水のことは忘れてました。
(浦田橋から友人に撮ってもらいました)
でも、もうちょっとスイスイいくかと
思ってましたけど、重かったです、お木は。
今、すでに腕筋肉痛で手のひらマメできそう。
赤福裏でお昼ごはんとって再び出発。
二見のもうひとつの団
山田原、溝口、光の街も
がんばっておりました。
そして一つ目の難所、烏帽子岩の瀬越。
流れが急、ぐっと深くなるし、
うわっヤバイかもと振り返ったら、
後ろの人がうんと遠くにいて
流されそう!や、やばい〜。
そしてわたしも流されました。
茶屋人みんなに助けられ
くやしながらに新橋渡って
追い付きました。
お木は他の団の助けもあって
見事に瀬越。
瀬越後の曳綱係りは
お疲れのようす。
表情に無理があります。
何個か難所をくくり抜け
最後は梃子方がふっとんで
無事?宇治橋のところから
引き上げられました。
このあとみんなで曳き曳き
荒祭宮までひっぱりました。
最後の荒祭宮前の
十数段の石段は
担いで奉納。
水も含んでるこのお木
おもさ1トンっだって
おもそー
そして無事荒祭宮へ奉納。
そのときは歓喜の拍手
荒瀬をいくつか越え
みんなで団結して曳いたお木だもん。
二見・松下,江清渚連,茶屋清渚連,三津の連合奉曳団のみなさん
ほんとうにご苦労様でした。
2006年04月13日
この記事へのトラックバック
ほんと、前の晩のあの集中豪雨!!どうなることやらと心配になりましたが・・・。
さすが、遷宮の神事です!!
まあまあなんとか、決行出来ることになり、ひと安心。
私は全く初めてだったんで、今回は追っかけ。
一日がかりでしてるなんて正直、驚きました。
川に入れば流れが急で、見てる方も心配でドキドキ。
難関・烏帽子岩のところで、各団が協力し突破したのは、なんだか感動・・・。
2基に別れていた二見町がひとつになってましたもんね。
流されつつも、大きなけが人もなく、無事に曳き納めました。茶屋の若者いはく、「これを経験したら、あとはもう何も恐くない」とのこと。
よおし、夏は私も参加するぞ!!と皆さんには一歩遅れて血が騒ぎだしたのでした。
お疲れ様でした。
私は陸の方、見学に行ってきました。
高齢化の波がここにも押し寄せているようで、
(平日のせいもあるのでしょうが)
曳くだけでも大変なようでした。
本町のエンヤ曳きは見事でしたよ!
NTT交差点から一気に、その勢いで
車から煙がぶわ〜っと舞い上がって!
我が町に恥をかかせてはいけない、と
エンヤ曳き参加することを心に誓いました。
ところで役木曳きはやっぱり神宮の中まで
曳いていくのですね。今回やっとわかりました。
と、いうことは神職がこの宮へ通えなくなると退職
と言われる外宮の多賀宮ものぼったのですね。
(娘がグズッたので外宮まで行けなかったのです。)
・・・今、書きながら大変なことに気づきました。
倭姫さんがありましたね。
川曳き→濡れたまま陸曳き→上り坂(何時間かかる?)
近いほうの入り口から入れるのですよね?!
どこの町さんなんでしょう?本当にお疲れ様です。
私は茶屋で参加していました。あの烏帽子の瀬はなかなか大変でしたが,その分,むぅっ!と来るものが大きかったですわ。
ぜひ,この夏はご参加を…。多分夏は,楽しい水遊びになるでしょう…(?
==============================================
●元伊勢市民さん
陸の役木に出る友人から聞きました。曳き手がいないんですってね。どこの団でもいいから手伝って〜,というメールが回ってきたり。ウチの団も事情は同じで,役員さんが1ヶ月近く走りまわられ,人員確保されてました。
陸の最後のエンヤで煙を上げるワンタはかっこいいですね。私は川なので,煙が上がることはありません(当たり前
> ・・・今、書きながら大変なことに気づきました。
> 倭姫さんがありましたね。
運行資料には倭姫役木は『四郷以外大湊を含む全団(進修,修道,二軒茶屋,二見)』となっています。
ただ出発が14時40分県営体育館裏なので,私達二見は参加できませんでした。二見が荒祭宮と風日祈宮に奉納が予定は14時30分,実際は1時間弱ずれ込んだので。それでも二見の役員さんたちは倭姫へ行ったそうです。
倭姫さんの役木は県営体育館裏出発,浦田橋を渡り,御幸道路を皇學館黒門前入り口にソリを付け,そこから本殿までは担ぐことになってました。
二見が引き上げる16時過ぎ,猿田彦さんの前あたりを行く倭姫役木をバスから見ました。見た目,皆さん濡れてはいなかったようです。川へ全員入った訳でもないので,倭姫応援部隊(?)は川へ入っていなかったのかも?
大湊は倭姫さんが担当ですし。
ちなみに四郷は月読さんへ9時40分ごろ体育館裏を出発していきました。コースは倭姫さんと同じで陸です。御幸道路側からお木を運び込むそうです。
ただ,早くに出発したけど,二見が引き上げるとき,23号線中村町のY字交差点を御幸道路方面へ坂に差し掛かるところでした。
それを考えると,倭姫さんは,何時頃着いたのでしょう?ちょっと私も疑問です。
大変な方の入り口じゃないですか。
長めの階段を下り結構な長さの参道を通り
また上って・・・大変ですね。
人がたりないというのなら
皇學館大学の神道学科なんてうってつけだと
思うのですが、どんなものでしょう?
と、実は前回のお木曳きの時に学生だった私。
やりましたよ陸曳き。(大学から車が何台かでた?)
情緒もなく、ただただ勢いだけなので
エライ速さで進んでいったと記憶しております。
1日神領民みたいな扱いだったのでしょうか?
法被もどうしたのか・・・はて?
大学から浜参宮に行った覚えもないし。
10年前の記憶、あいまいです。
どうやって調べましょう?(笑)
学生のころ行ったのは
白石持ちです。
でも、その時も浜参宮するはずですよね?
倭姫の一群は宇治の、近所の人が多かったのもあってか?川のあと着替えてきた人が多かったと思います。
浦田橋からのそり曳きもスムーズに御幸道路に入り、疲れた様子もなく40分遅れくらいで倉田山へ坂をあがってきていました。
お宮へは、正面ではなく、ちょうこかんの前の下り階段(近い方)から、700sくらいある木を担いで(といっても綱をつけて梃子棒をかついで)
…ここは宇治で御輿を担いでいる人がたくさんいますから、若い人も多いし、結構イケたかも。
手元の運行資料よく見ました。下でもりかお@ウォッチャーさんのおっしゃるように,徴古館へ入り,徴古館前の入り口より入ることになっていました。
> 人がたりないというのなら
> 皇學館大学の神道学科なんてうってつけだと
> 思うのですが、どんなものでしょう?
なんか,いろいろオトナな事情な思惑があるみたいです。特にこの役木曳きは『神宮ゆかりの土地の住人』という『しばり』があります。他の土地の人が曳くことに対して神宮側にいろいろあるんだと思います。
一日神領民も外宮陸曳きのみで,内宮川曳きはありません。
> 大学から浜参宮に行った覚えもないし。
> 10年前の記憶、あいまいです。
> どうやって調べましょう?(笑)
大学から浜参宮が来るかどうか,観察してみます(笑
お白石のときも浜参宮がありますよ(ととりあえずは現在は予定,みたいですが…)
=====================================================
●もりかお@ウォッチャーさん
フォローありがとうございます。私Yは役木終了とともにウチ帰って寝ちゃいました。いい全身運動だったなぁ〜。
そのかわり,フットワークの軽い観察隊Mが見に行ってくれました。
確かに運行表は徴古館前から搬入になってました。
そうか,宇治の神輿で鍛えられているから,あれだけの木を運んでも大丈夫なんだ〜