2016年09月29日

ヒガンバナ

秋とは名ばかりに蒸し暑い日が続いてます。
秋とは名ばかりに雨の日も続きます。

本日あたりから涼しくなってくる、
との予報も出てます。

秋らしくさわやかな青空が
望めることを願って
ヒガンバナ。

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今一色、五十鈴川堤防です。

posted by 浜参宮観察隊 at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 素描/秋・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

秋の神楽祭

この3日間、秋の神楽祭でした
台風到来&あいにくの雨と重なって
参集殿の午前11時のみの公開でした
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初日21日に、内宮へ
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そりこ、と読みます
33年ぶりのお披露目だそうで
紙製のお面なんて初めて見ました!
顔が描かれていて「雑面(ぞうめん)」というそう
舞人四人が手に持ってるのは、白楚(ずばい)です
別名・竈祭舞(かまどまつりまい)ともいわれます

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お抹茶、いただきました
posted by 浜参宮観察隊 at 03:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊勢の話題> 伊勢歳時記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月14日

今一色のお地蔵さん

高城保育園から海岸へ出る道沿いの
雑木林にひっそりと佇む地蔵さんたち。

大きなお地蔵さんが一体と
奥に小さなお地蔵さんが数体。

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五十鈴川河口の今一色沖は
潮の流れが複雑でよく水難事故が起きたそうです。

その水難事故で命を落とした人たちを供養するため
昔はここにお地蔵さんを立てたんだ。

このお地蔵さんを見てたとき声をかけてくれた
通りがかりのおじいさんが教えてくれました。

今一色の墓地からかなり離れたこの場所に
お地蔵さんがなぜ居並ぶのかを思うと
近年までこの付近が海岸線だったから
このお地蔵さんたちはみんな海を向いて立っている、
そういうことなのかもしれません。

posted by 浜参宮観察隊 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 二見温故知新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月07日

【その7】一色砲台と大湊砲台の現状

一色砲台
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三重県教育委員会(1984年).三重の近世城郭 p.71
三重県教育委員会提供


二見に砲台が設置された同時期に
やはり津藩とその支藩である久居藩により
現在の伊勢市一色町と伊勢市大湊町にも砲台が設置されます。

場所はピンのところになります。


ここは今まで見てきた砲台跡では唯一看板が立てられいました。

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看板には
台場
 幕末のアメリカ使節ペリーの来航から神宮を護衛するために、一色村向崎へ砲台を設置するむねの命令が奉行所よりあり、一色では時の年寄五名の連名でこれを認めた。
 砲台の設営は一八六一年(文久一年)より時の久居藩は担当して始め、二見町三津の不聞山(きかずやま)から水路にて土砂を運搬して盛土した。
 実際には、通商条約調印、開国の運びとなり砲台を据え付けるところまでには至らなかった。
 一色では今、ここを「台場」と言っている。
平成十七年五月建立
とあります。

「三重の近世城郭」 によると
大きさは約40m×50m、跡地としては全壊。
看板に書かれているとおり二見町三津の引船橋
(安土桃山時代村から県営アリーナへ行く途中の五十鈴川に架かる橋)
下流右岸朝熊側の不聞山(きかずやま)から水路で土砂を運びました。
明治45年から大正10年にいたる耕地整理までは現存していて
山場として子供たちの遊び場だったそうです。
耕地整理後は高さ7、80pの高台上の土地として整備され
野菜や果樹が植えられています。

実際現地は田んぼと住宅の中にぽつんと存在する果樹園の様相です。

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ちなみに上は砲台跡を北東(位置図で言えば右上)から眺めた写真ですが、
位置図の通り、一部斜めに切り込まれた土地であることが確認できます。

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大湊砲台
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三重県教育委員会(1984年).三重の近世城郭 p.70
三重県教育委員会提供


地図上ではこの場所になります。
赤いピンの場所です。


こちらの砲台跡は完全消滅していて
三重の近世城郭でも資料等が見当たらず
加えて伊勢湾台風後の護岸工事のため消滅し
場所の確定が行われなかったとあります。

しかし三重の近世城郭の調査では当時
2名の古老(明治31年生と明治26年生)
の記憶という話があり、
大湊の海岸の最北に近い海浜上に
砲台跡があったことは確かであり、
その跡は高さ3間(5.4m)の円錐台で、
斜面はよじ登るのが困難なほど急だったとあります。

実際現在訪れてみると、本当に何もありません。

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---二見の砲台---
【その1】はじめに
【その2】時代背景など
【その3】高城(今一色)砲台の現状
【その4】鮫川(茶屋)砲台の現状
【その5】神前砲台の現状
【その6】二見陣屋の現状
【その7】一色砲台と大湊砲台の現状
posted by 浜参宮観察隊 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 二見温故知新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月06日

汐合の夕焼け

汐合=しわえ、と読みます

夕刻、西の空が劇的にきれいで
二見の端っこ、五十鈴川へ
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猛ダッシュしたけど、ちょっと遅かった…
posted by 浜参宮観察隊 at 07:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 素描/秋・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

長月朔日参り

空勇号です、朔日参りで神馬牽参
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1の付く日にはお馬さんもお参り
神楽殿前、帰るところでした
(寝坊のため参拝ゆっくり時間…)
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御厩にて、愛らしすぎて離れられん
その頃には、すっかり青空の内宮神域
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9月のはじまり
posted by 浜参宮観察隊 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 伊勢の話題> ついたちといえば… | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする