2016年07月18日

【その3】高城(今一色)砲台の現状

高城(今一色)砲台
P7010042.JPG
三重県教育委員会(1984年).三重の近世城郭 p.72
三重県教育委員会提供


高城砲台の跡地は高城神社前の丘陵地です。
地図の赤いピンのところになります。



P6170109.JPG

写真では右建物奥の丘陵地です。
手前後が高城神社になります。

高城神社側から藪の中へ入ってみました。

藪を入って行くと
思った以上にきれいな土塁跡が目の前に現れます。
高さにしておよそ2mほど。
P6170105_S.jpg

それが上段の土塁ということになります。
上段の土塁が目の前に現れるまでの若干の登りが
確かに下段の土塁だとも見受けられます。

今一色砲台図によると北西部に
出入り口状の凹みがみられますが
こちらは藪が深くて未確認です。

土塁はかつて石垣となっていて東北部に石垣の石材が
数個あるとのことですがこれも未確認です。

土塁の上部、砲台面はきれいな平面でかなり広いです。
今一色砲台図によれば規模としておよそ90m四方。
P6170100_S.jpg

全面に竹が多い茂ってますが
規模は大きなことはわかります。

土塁の下は赤土で覆われていて
三津から船で運ばれた赤土と伝えられてるそうです。

明治22年の『二見郷七ヵ村明細図』には
北辺約10m、南辺約80m、南北約75mの
六角形に近い平面が記されているそうですが
この北辺で当時は海に接していたということで
完成当時は海に面した砲台だったわけです。

完成したのは文久三年(1863年)5月ごろで
大政奉還(1867年)の4年前です。

---二見の砲台---
【その1】はじめに
【その2】時代背景など
【その3】高城(今一色)砲台の現状
【その4】鮫川(茶屋)砲台の現状
【その5】神前砲台の現状
【その6】二見陣屋の現状
【その7】一色砲台と大湊砲台の現状
posted by 浜参宮観察隊 at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 二見の話題> 二見温故知新 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする