砲台跡、です。
砲台、大砲を据え付けたところです。
江戸幕末の1853年、
ペリーの浦賀来航という大事件を機に
防衛のための砲台が全国に作られました。
おそらく一番有名なのは東京お台場の
品川砲台だと思います。
津の藤堂藩も津市内・塔世橋あたりと
岩田川河口、現在の青果市場の地に二つの砲台を築きます。
そして伊勢神宮警護のための砲台を
二見町内に3つ、大湊に1つ、一色町に1つの計5カ所
そして統括する役所として二見陣屋を築きます。
(一色の砲台は津藩の支藩、久居藩の設置です)
二見町内に関して言えば3つの砲台はそれぞれ
今一色の高城砲台、茶屋の鮫川砲台、そして神前砲台の3つです。
現在の場所で言えば高城砲台は高城神社向かいの雑木林

写真まっすぐ奥が高城保育園、右へ行けば海岸
左へ行けば今一色小学校、手前が高城神社です。
そして鮫川砲台は現在の賓日館…、
砲台廃止後の跡地に建てられたのが賓日館です。
神前砲台は神前岬の東側、
船ででも行かなきゃ行けません。
ちなみに統括役所の二見陣屋は
光の街へ入る参宮線の高架下に
茶色い建物、上水道加圧ポンプ場がありますが、ここです。

ちょうど陣屋跡地を参宮線が二分していて
南側跡地に現在この上水道加圧ポンプ場
が建っています。
というわけで数回に分けて
これら砲台跡と陣屋のことを
紹介していこうと思います。
---二見の砲台---
【その1】はじめに【その2】時代背景など【その3】高城(今一色)砲台【その4】鮫川(茶屋)砲台【その5】神前砲台【その6】二見陣屋【その7】一色砲台と大湊砲台
posted by 浜参宮観察隊 at 00:15|
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