google earth を何気に見ていました。
興玉神社の海中に黒い影が見えてます。
赤く丸をつけておきました。
(画像クリックで拡大します)
距離スケールと対比すると長さ100mくらいの黒い影。
「その大きさは東西二町、南北一町、周囲八町」
という神石の大きさには少し小さい気がしますが
この影、興玉神石でしょうね。
2016年06月25日
2016年06月23日
2016年06月21日
花菖蒲@神宮さん
2016年06月20日
もう夏至
【その1】はじめに
砲台跡、です。
砲台、大砲を据え付けたところです。
江戸幕末の1853年、
ペリーの浦賀来航という大事件を機に
防衛のための砲台が全国に作られました。
おそらく一番有名なのは東京お台場の
品川砲台だと思います。
津の藤堂藩も津市内・塔世橋あたりと
岩田川河口、現在の青果市場の地に二つの砲台を築きます。
そして伊勢神宮警護のための砲台を
二見町内に3つ、大湊に1つ、一色町に1つの計5カ所
そして統括する役所として二見陣屋を築きます。
(一色の砲台は津藩の支藩、久居藩の設置です)
二見町内に関して言えば3つの砲台はそれぞれ
今一色の高城砲台、茶屋の鮫川砲台、そして神前砲台の3つです。
現在の場所で言えば高城砲台は高城神社向かいの雑木林
写真まっすぐ奥が高城保育園、右へ行けば海岸
左へ行けば今一色小学校、手前が高城神社です。
そして鮫川砲台は現在の賓日館…、
砲台廃止後の跡地に建てられたのが賓日館です。
神前砲台は神前岬の東側、
船ででも行かなきゃ行けません。
ちなみに統括役所の二見陣屋は
光の街へ入る参宮線の高架下に
茶色い建物、上水道加圧ポンプ場がありますが、ここです。
ちょうど陣屋跡地を参宮線が二分していて
南側跡地に現在この上水道加圧ポンプ場
が建っています。
というわけで数回に分けて
これら砲台跡と陣屋のことを
紹介していこうと思います。
---二見の砲台---
【その1】はじめに
【その2】時代背景など
【その3】高城(今一色)砲台
【その4】鮫川(茶屋)砲台
【その5】神前砲台
【その6】二見陣屋
【その7】一色砲台と大湊砲台
砲台、大砲を据え付けたところです。
江戸幕末の1853年、
ペリーの浦賀来航という大事件を機に
防衛のための砲台が全国に作られました。
おそらく一番有名なのは東京お台場の
品川砲台だと思います。
津の藤堂藩も津市内・塔世橋あたりと
岩田川河口、現在の青果市場の地に二つの砲台を築きます。
そして伊勢神宮警護のための砲台を
二見町内に3つ、大湊に1つ、一色町に1つの計5カ所
そして統括する役所として二見陣屋を築きます。
(一色の砲台は津藩の支藩、久居藩の設置です)
二見町内に関して言えば3つの砲台はそれぞれ
今一色の高城砲台、茶屋の鮫川砲台、そして神前砲台の3つです。
現在の場所で言えば高城砲台は高城神社向かいの雑木林
写真まっすぐ奥が高城保育園、右へ行けば海岸
左へ行けば今一色小学校、手前が高城神社です。
そして鮫川砲台は現在の賓日館…、
砲台廃止後の跡地に建てられたのが賓日館です。
神前砲台は神前岬の東側、
船ででも行かなきゃ行けません。
ちなみに統括役所の二見陣屋は
光の街へ入る参宮線の高架下に
茶色い建物、上水道加圧ポンプ場がありますが、ここです。
ちょうど陣屋跡地を参宮線が二分していて
南側跡地に現在この上水道加圧ポンプ場
が建っています。
というわけで数回に分けて
これら砲台跡と陣屋のことを
紹介していこうと思います。
---二見の砲台---
【その1】はじめに
【その2】時代背景など
【その3】高城(今一色)砲台
【その4】鮫川(茶屋)砲台
【その5】神前砲台
【その6】二見陣屋
【その7】一色砲台と大湊砲台