雪の舞う日に、西のコミセンへ

しゃもじの耳がウサギみたい
箱から出てきた箕獅子です
西区初会の日、午前中、
箕獅子を飾ってお参りしますが、まずはみんなで

橙の作業

潰さないよう、やわらかーく

橙をひたすら揉んでます

電話をしてても左手は動いてます
揉むこと1時間弱?ようやく中身を刳りぬいて、

セッティング準備完了
歯医者さん(口の中掃除機中)

目医者さん(両目を新しい橙に)

箕獅子、完成!

江戸時代に、神領復帰に尽力してくれた
山田奉行・花房志摩守への感謝を込めた
農民の手づくりお獅子さん
この箕獅子・・・
頭は、花房にちなんで“藤蔓"と竹で作った箕
目は、橙をお椀状にし、黒い目玉を填め込んで
鼻は、ヒョウタンに蕾を付けた梅の小枝
耳と舌は、しゃもじ
胴体は蚊帳を使い、裾には夫婦岩が描かれています

さっぶーい、雪がチラチラ
松陰神社(西の氏神・今は二見神社に合祀)に参拝し、
花房志摩守の供養塔では

獅子頭を付けてお参り
箕といえども、結構重いんですよ

そんなことより、御神酒に忙しい人たち

昔は二見十郷出てたらしいですが
今は西の人々で続けてくれてます
神領復帰がなかったら、お白石もなかったかも?!
3番目の立ち寄りは志茂田神社

今年から加わりました
ここの井戸水、かなりいいらしいです
できもんが治る、と西のじいちゃん、ゆうてます

がおー、キュート
*・*・*・*
鳥羽領主、九鬼嘉隆の二見押領により、
内宮外宮への御塩供進の儀が中絶、
二見郷民は高い年貢に苦しめられます
元和8年(1622)4月、二見郷神役人120人が連署し、
神領復帰を求め幕府に哀訴
同時に九鬼家からの追求を逃れるために、二見から集団脱走し、
以来12年間、江戸、京都にあって哀訴を続け、
厳しい辛酸をなめることに
寛永10年(1633)6月13日、九鬼家継嗣問題による国替えを機に、
山田奉行・花房志摩守(1581ー1641)の尽力により、
神領復帰を達成することができましたとさ ばんざーい!
供養碑は寛永18年4月、花房奉行死去の報を受け、
報恩謝徳のために設立
毎年正月17日の夜には、この前に集まり、
彼にゆかりの箕獅子の舞いをすることからはじまったとのこと
そして、続く・・・・・・・・・・
posted by 浜参宮観察隊 at 04:04|
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