2014年01月31日
2014年01月28日
寒中見舞い
2014年01月25日
加子母の獅子舞
内宮参集殿にて24日
かぷっ
裏木曽、中津川の加子母の獅子舞奉納でした
裏木曽、加子母といえば・・・
http://hamasanguu.seesaa.net/article/381919671.html
http://hamasanguu.seesaa.net/article/382794093.html
御神木の旅です♪
檜の良材の産出地で、徳川の時代、元和元年(1615)
尾張藩の直轄領となり、厳しい山林保護政策のもと
木曽ヒノキの美林が形成されたところです
朝5時に出発し、(マイナス9℃だって)
お伊勢さんへお越しいただきました
こちらのお獅子は宮上がり
水無神社で毎年9月に行う例大祭で獅子舞の披露があります
水無神社は元和7年(1627)以前の創建とされる加子母総社
加子母には獅子舞を持つ地区が10あるとのこと
1983年から毎年、奉納を続けてくれていて、今年は神桑原地区が担当
動きが機敏で、見学の人らからも感嘆の声と拍手
「ゆたんがかり」という優雅な舞いから
剣の舞
伊勢神楽の系統だそう
300年余の歴史有り
大祭は「けんか祭り」として知られ、
神宮の陸曳に由来する勇壮な「山車曳き(やまひき)」が行われます
からくり人形を乗せた高さ8メートルの2台の山車を
2本の大綱で引っ張り、参道入り口から境内まで曳き上げるもの
祭り前夜は試楽祭といって、獅子舞のお披露目があるんですって
2014年01月22日
箕獅子@西の初会 其の2
箕獅子の日は初会で、いわゆる元服
中学3年生男子が大人の仲間入りで
西区のみなさんの前で紹介されます
紹介の後は早速、乾杯
中学生はお酒でなくコーラかオレンジ
今年の中学3年生は1人欠席で6人です
宴たけなわ〜
今は日曜日にやってますが、昔は1月17日で八幡さんのお祭りに
この日は、西の人々、うかつに寝られんかったらしく
といいますのも、西のやんちゃなお兄さんたち、
夜になると、ちょっとしたいたずらをするのが恒例だったようで・・・
西中の石を、いわゆる花房さんの供養碑とか六地蔵とか、
そういったものを持ち運んで、まずはその年目出度く結婚した
おうちの庭へ、届けるんだそうです、頼んでないのに。。。
石を置かれたおうちは、翌朝、親戚一同集めて
また元あった場所に返さないといけないため
暴れん坊の兄さんらがやってくるのを待ちかまえ、
「どうぞお帰りなせってくだせー」みたいに
ウマイお酒と肴でふるまって追い返したそうな
「ヒマやったで、することなかったでのー」と
なんて陽気な・・・
「六地蔵、ひびいっとんのはそのせいやー、わははー」
豪快・・・
2014年01月21日
2014年01月20日
箕獅子@西の初会 其の1
雪の舞う日に、西のコミセンへ
しゃもじの耳がウサギみたい
箱から出てきた箕獅子です
西区初会の日、午前中、
箕獅子を飾ってお参りしますが、まずはみんなで
橙の作業
潰さないよう、やわらかーく
橙をひたすら揉んでます
電話をしてても左手は動いてます
揉むこと1時間弱?ようやく中身を刳りぬいて、
セッティング準備完了
歯医者さん(口の中掃除機中)
目医者さん(両目を新しい橙に)
箕獅子、完成!
江戸時代に、神領復帰に尽力してくれた
山田奉行・花房志摩守への感謝を込めた
農民の手づくりお獅子さん
この箕獅子・・・
頭は、花房にちなんで“藤蔓"と竹で作った箕
目は、橙をお椀状にし、黒い目玉を填め込んで
鼻は、ヒョウタンに蕾を付けた梅の小枝
耳と舌は、しゃもじ
胴体は蚊帳を使い、裾には夫婦岩が描かれています
さっぶーい、雪がチラチラ
松陰神社(西の氏神・今は二見神社に合祀)に参拝し、
花房志摩守の供養塔では
獅子頭を付けてお参り
箕といえども、結構重いんですよ
そんなことより、御神酒に忙しい人たち
昔は二見十郷出てたらしいですが
今は西の人々で続けてくれてます
神領復帰がなかったら、お白石もなかったかも?!
3番目の立ち寄りは志茂田神社
今年から加わりました
ここの井戸水、かなりいいらしいです
できもんが治る、と西のじいちゃん、ゆうてます
がおー、キュート
*・*・*・*
鳥羽領主、九鬼嘉隆の二見押領により、
内宮外宮への御塩供進の儀が中絶、
二見郷民は高い年貢に苦しめられます
元和8年(1622)4月、二見郷神役人120人が連署し、
神領復帰を求め幕府に哀訴
同時に九鬼家からの追求を逃れるために、二見から集団脱走し、
以来12年間、江戸、京都にあって哀訴を続け、
厳しい辛酸をなめることに
寛永10年(1633)6月13日、九鬼家継嗣問題による国替えを機に、
山田奉行・花房志摩守(1581ー1641)の尽力により、
神領復帰を達成することができましたとさ ばんざーい!
供養碑は寛永18年4月、花房奉行死去の報を受け、
報恩謝徳のために設立
毎年正月17日の夜には、この前に集まり、
彼にゆかりの箕獅子の舞いをすることからはじまったとのこと
そして、続く・・・・・・・・・・
しゃもじの耳がウサギみたい
箱から出てきた箕獅子です
西区初会の日、午前中、
箕獅子を飾ってお参りしますが、まずはみんなで
橙の作業
潰さないよう、やわらかーく
橙をひたすら揉んでます
電話をしてても左手は動いてます
揉むこと1時間弱?ようやく中身を刳りぬいて、
セッティング準備完了
歯医者さん(口の中掃除機中)
目医者さん(両目を新しい橙に)
箕獅子、完成!
江戸時代に、神領復帰に尽力してくれた
山田奉行・花房志摩守への感謝を込めた
農民の手づくりお獅子さん
この箕獅子・・・
頭は、花房にちなんで“藤蔓"と竹で作った箕
目は、橙をお椀状にし、黒い目玉を填め込んで
鼻は、ヒョウタンに蕾を付けた梅の小枝
耳と舌は、しゃもじ
胴体は蚊帳を使い、裾には夫婦岩が描かれています
さっぶーい、雪がチラチラ
松陰神社(西の氏神・今は二見神社に合祀)に参拝し、
花房志摩守の供養塔では
獅子頭を付けてお参り
箕といえども、結構重いんですよ
そんなことより、御神酒に忙しい人たち
昔は二見十郷出てたらしいですが
今は西の人々で続けてくれてます
神領復帰がなかったら、お白石もなかったかも?!
3番目の立ち寄りは志茂田神社
今年から加わりました
ここの井戸水、かなりいいらしいです
できもんが治る、と西のじいちゃん、ゆうてます
がおー、キュート
*・*・*・*
鳥羽領主、九鬼嘉隆の二見押領により、
内宮外宮への御塩供進の儀が中絶、
二見郷民は高い年貢に苦しめられます
元和8年(1622)4月、二見郷神役人120人が連署し、
神領復帰を求め幕府に哀訴
同時に九鬼家からの追求を逃れるために、二見から集団脱走し、
以来12年間、江戸、京都にあって哀訴を続け、
厳しい辛酸をなめることに
寛永10年(1633)6月13日、九鬼家継嗣問題による国替えを機に、
山田奉行・花房志摩守(1581ー1641)の尽力により、
神領復帰を達成することができましたとさ ばんざーい!
供養碑は寛永18年4月、花房奉行死去の報を受け、
報恩謝徳のために設立
毎年正月17日の夜には、この前に集まり、
彼にゆかりの箕獅子の舞いをすることからはじまったとのこと
そして、続く・・・・・・・・・・
2014年01月18日
2014年01月17日
二見浦 月の出
日も暮れかけた西の空
1月16日 十六夜 東の空では
お月さんが夫婦岩の間から
まんまる 満月
二見浦の旧暦月暦2014年版 発売中 50部限定
旧暦1月1日は新暦の1月31日がスタートです
http://www.23kaeru.jp
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