そういえば、大晦日って、いつも晴れ
恒例の松下社の榊巻き、これを見やんと
一年終われません
通い始めてから、ずっと雨ではなかったはず
いつものメンバーが
せっせ境内14箇所
榊をぐるぐる
松下社は平成27年7月に御遷座
それまで巻き続ける榊
お社の下は、もう、はみだしそうに大きくなってます
ちょうど、松下の人がお参り
「ながせの浜で採ってくるん」と
アマモと浜の砂
2013年12月31日
大晦日、外宮さんへ
2013年12月30日
ふーちゃん・たみちゃん
2013年12月23日
冬至の宇治橋
2013年12月20日
遷御記念
2013年12月18日
出張続きの勢いで…神玉神社篇
裏木曽出張の流れに乗って、遠征報告
古座川支流小川の奥地、小森川にやってきました
古座川町です(裏木曽とはヒノキ&清流つながり…)
12月5日、神玉(かみたま)神社の例祭でした
「鯛釣り祭り」として知られる一風変わったお祭り
まずはお祓い。湯立神事
急ごしらえの竃には熱湯グラグラ
湯の中へお祓いの笹を入れてかき回し
神職が氏子さんに笹の熱玉をかぶせます
(栄野神社つながり!)
ヒノキ材でできた皿に盛ったお供えは
つるし柿・餅・赤飯
境内に座った氏子さんたち
柿を食べて種を残し、その他のものは包んでおきます
↑ココ、ポイント
滞りなく玉串拝礼までが終わると、いよいよ鯛釣り神事
祭り当番(=野口さん*かれこれ10年ぐらい当番)が釣り竿を持って
「きょうは鯛を釣りにきました。西の海で釣ろか、東の海で釣ろか」
「釣った、釣った」「鯛に釣りきられた」
氏子さんの前の空の皿を鯛にみたて、腰につけた籠に入れ
「赤鯛9匹、白鯛9匹、黒鯛9匹、
3×9(さんく)27匹釣った。大漁、大漁」みんなも「大漁、大漁」
そして鯛の後も続きます
鳥追い神事は弓矢を手に「鳥をうちに来ました」と
3本の矢のうち2本を射て、1本を神職さんに頂けます
芋あらい神事
「芋を洗います」と、先ほどの空皿を芋にみたて
上下にガッサガッサ、芋洗いの真似
そして寸劇最後は猿追い(柿の種)神事
神職さんを先頭に氏子たちが境内を右回りで2周半まわり、
*2周半といってたけど、もっとまわってた
残しておいた柿の種を境内の外へ投げ、サルを追っぱらいます
そして、みなさんお待ちかね
餅ほりー、やっぱ祭りのシメは餅ほり
超笑顔
潮崎さん
ヒノキで作ったお供えのお皿、つくってます
小森川の3人の住人のお一人
山奥でなぜ海の魚の鯛を釣るの?
元々九州の鯛が釣れる地にルーツをもつ落ち武者が
この地に住みついたのが起源だという説も、あり
古座川支流小川の奥地、小森川にやってきました
古座川町です(裏木曽とはヒノキ&清流つながり…)
12月5日、神玉(かみたま)神社の例祭でした
「鯛釣り祭り」として知られる一風変わったお祭り
まずはお祓い。湯立神事
急ごしらえの竃には熱湯グラグラ
湯の中へお祓いの笹を入れてかき回し
神職が氏子さんに笹の熱玉をかぶせます
(栄野神社つながり!)
ヒノキ材でできた皿に盛ったお供えは
つるし柿・餅・赤飯
境内に座った氏子さんたち
柿を食べて種を残し、その他のものは包んでおきます
↑ココ、ポイント
滞りなく玉串拝礼までが終わると、いよいよ鯛釣り神事
祭り当番(=野口さん*かれこれ10年ぐらい当番)が釣り竿を持って
「きょうは鯛を釣りにきました。西の海で釣ろか、東の海で釣ろか」
「釣った、釣った」「鯛に釣りきられた」
氏子さんの前の空の皿を鯛にみたて、腰につけた籠に入れ
「赤鯛9匹、白鯛9匹、黒鯛9匹、
3×9(さんく)27匹釣った。大漁、大漁」みんなも「大漁、大漁」
そして鯛の後も続きます
鳥追い神事は弓矢を手に「鳥をうちに来ました」と
3本の矢のうち2本を射て、1本を神職さんに頂けます
芋あらい神事
「芋を洗います」と、先ほどの空皿を芋にみたて
上下にガッサガッサ、芋洗いの真似
そして寸劇最後は猿追い(柿の種)神事
神職さんを先頭に氏子たちが境内を右回りで2周半まわり、
*2周半といってたけど、もっとまわってた
残しておいた柿の種を境内の外へ投げ、サルを追っぱらいます
そして、みなさんお待ちかね
餅ほりー、やっぱ祭りのシメは餅ほり
超笑顔
潮崎さん
ヒノキで作ったお供えのお皿、つくってます
小森川の3人の住人のお一人
山奥でなぜ海の魚の鯛を釣るの?
元々九州の鯛が釣れる地にルーツをもつ落ち武者が
この地に住みついたのが起源だという説も、あり
2013年12月16日
裏木曽の続き
護山神社です 裏木曽ツアー続編です
伐採した御神木が奉搬される付知の神社
その日は、木曽山から御樋代木を輩出する栄誉を寿ぎ
氏子さんによる神事芸能は夜更けにおよび奉納されたそう
境内に展示してあった、じゃじゃん
大人が、子どもか!ってぐらいでっかい…
天然の、千年ひのきの、三ツ尾切り
かつて「出の小路(いでのこうじ)の大檜」と呼ばれ樹齢950年という代物
昭和9年9月の室戸台風により地上12メートルの高さで折損
昭和29年に学術参考用として伐採されました
標本も展示され、昭和51年に付知町天然記念物に指定
昭和56年には出の小路の新たなシンボルとして
樹齢1000年級の巨大檜を「2代目大ヒノキ」に襲名
その後、標本の木は「初代大ヒノキ」と親しまれてます
お次、森林組合へ
ここには人工林から伐り出された東濃ヒノキ
淡いピンク色で香りがよく、
粘りがあって強度的にもすぐれています
木に従事する人がとっても多い付知や加子母
丸博建築の伊藤さん
宮大工として周辺の社寺を手がけています
しびれる作業場
丸定木工所さんは枡づくり
枡の工程に合わせて機械もカスタマイズ
モルダーという機械にかけて削って
側板を一定のサイズにカットして
枡の形にはめこんだら、底と組みあわせ
仕上げは円盤という機械で
枡の外側を綺麗に削ります
工場の中、社長じゃないと何が何かわかりません
枡だらけ、木曽ヒノキへの想いは熱く・・・
木曽ヒノキ備林は、戦前は神宮備林と呼ばれ宮内庁が所管
戦後は伊勢神宮に限らず文化財などの木造建造物に用いられ、
最近では名古屋城の本丸御殿の復元にも使われています
この貴重な森を守っていくために、
「裏木曽古事の森」として森づくりに取り組んでいます
会長の三浦さん
「古事の森」は平成16年に故・立松和平氏が提唱
超長期にわたる森林づくり活動を推奨するもの
地元の中津川市市民で組織された協議会と森林管理署が協力し、
国有林の一部を有志の方や中学生による整備作業も行われています
森を案内してもらいました
ちょっと珍しいものを
こちら「合体木」
根本はサワラで上はヒノキ、いつからか幹が一つに・・・
樹高35m、幹回り250pで推定樹齢は560年
今も元気に育っています
この天然ヒノキは
600年ぐらい?
そーしーてー
対面
2代目千年ひのき
対照物がないので、大きさ伝わりづらいですけど・・・
再び、森から流れる付知川
地元では青川と呼ぶんだそう
きれいすぎ
伐採した御神木が奉搬される付知の神社
その日は、木曽山から御樋代木を輩出する栄誉を寿ぎ
氏子さんによる神事芸能は夜更けにおよび奉納されたそう
境内に展示してあった、じゃじゃん
大人が、子どもか!ってぐらいでっかい…
天然の、千年ひのきの、三ツ尾切り
かつて「出の小路(いでのこうじ)の大檜」と呼ばれ樹齢950年という代物
昭和9年9月の室戸台風により地上12メートルの高さで折損
昭和29年に学術参考用として伐採されました
標本も展示され、昭和51年に付知町天然記念物に指定
昭和56年には出の小路の新たなシンボルとして
樹齢1000年級の巨大檜を「2代目大ヒノキ」に襲名
その後、標本の木は「初代大ヒノキ」と親しまれてます
お次、森林組合へ
ここには人工林から伐り出された東濃ヒノキ
淡いピンク色で香りがよく、
粘りがあって強度的にもすぐれています
木に従事する人がとっても多い付知や加子母
丸博建築の伊藤さん
宮大工として周辺の社寺を手がけています
しびれる作業場
丸定木工所さんは枡づくり
枡の工程に合わせて機械もカスタマイズ
モルダーという機械にかけて削って
側板を一定のサイズにカットして
枡の形にはめこんだら、底と組みあわせ
仕上げは円盤という機械で
枡の外側を綺麗に削ります
工場の中、社長じゃないと何が何かわかりません
枡だらけ、木曽ヒノキへの想いは熱く・・・
木曽ヒノキ備林は、戦前は神宮備林と呼ばれ宮内庁が所管
戦後は伊勢神宮に限らず文化財などの木造建造物に用いられ、
最近では名古屋城の本丸御殿の復元にも使われています
この貴重な森を守っていくために、
「裏木曽古事の森」として森づくりに取り組んでいます
会長の三浦さん
「古事の森」は平成16年に故・立松和平氏が提唱
超長期にわたる森林づくり活動を推奨するもの
地元の中津川市市民で組織された協議会と森林管理署が協力し、
国有林の一部を有志の方や中学生による整備作業も行われています
森を案内してもらいました
ちょっと珍しいものを
こちら「合体木」
根本はサワラで上はヒノキ、いつからか幹が一つに・・・
樹高35m、幹回り250pで推定樹齢は560年
今も元気に育っています
この天然ヒノキは
600年ぐらい?
そーしーてー
対面
2代目千年ひのき
対照物がないので、大きさ伝わりづらいですけど・・・
再び、森から流れる付知川
地元では青川と呼ぶんだそう
きれいすぎ
2013年12月15日
蘇民の注連縄づくり
土曜の午後、校正に松下へ…
みなさんせっせと注連縄づくり
松下社特製、蘇民将来の注連縄です
年末迫ってきました…アセリます
その昔、
旅の途中、暴風雨に困ったスサノオノミコトを助けた蘇民将来
感謝したミコトは疫病が流行るからと忠告し、
蘇民一家は難を逃れました
それから疫病除けに「蘇民将来子孫家門」と書いて
玄関に掛けるようになったといわれています
松下社のお手製です
12月16日は桃符頒布始祭があります
授与所での販売開始は25日から
注文は殺到
そろそろ予約も締切まぢか、お急ぎください!
柊・榊・裏白・馬酔木、譲り葉を飾ります
柊の花を見付けました
柊は、数年するとトゲトゲの葉っぱじゃ
なくなるんだそう、はじめて知りました
友だち、弟子入り
後継者!募集中!!(去年も、書いたっけな)
25日発売初日のアルバイトも、募集中!!!
みなさんせっせと注連縄づくり
松下社特製、蘇民将来の注連縄です
年末迫ってきました…アセリます
その昔、
旅の途中、暴風雨に困ったスサノオノミコトを助けた蘇民将来
感謝したミコトは疫病が流行るからと忠告し、
蘇民一家は難を逃れました
それから疫病除けに「蘇民将来子孫家門」と書いて
玄関に掛けるようになったといわれています
松下社のお手製です
12月16日は桃符頒布始祭があります
授与所での販売開始は25日から
注文は殺到
そろそろ予約も締切まぢか、お急ぎください!
柊・榊・裏白・馬酔木、譲り葉を飾ります
柊の花を見付けました
柊は、数年するとトゲトゲの葉っぱじゃ
なくなるんだそう、はじめて知りました
友だち、弟子入り
後継者!募集中!!(去年も、書いたっけな)
25日発売初日のアルバイトも、募集中!!!
2013年12月05日
御樋代木の旅、裏木曽へ
朔日参り、今月は伊勢にあらず・・・
1日は裏木曽ツアーでした
御樋代の木、伐採地
やってきました付知です
遷宮で建てかえる社殿の御用材は御杣山から調達されます
古くは伊勢の神路山、島路山、高倉山から伐出されていましたが、
次第に適した材が欠乏し、各地に御杣山が定められ、
美濃の国、木曽・裏木曽からも供給されるようになりました
本格的に遷宮用材が伐出されたのは
宝永6年(1709)といわれています
幕藩体制の保護のもと神宮備林として、
戦前までは式年遷宮の用材だけに備える山でした
現在この山は国有林
そして伊勢のお山でも、大正時代からヒノキを植え始め
今回の遷宮では全体のおよそ24%、伊勢産が使われたそう
ちなみに1回の遷宮に必要なヒノキ材は約1万m3で
本数にして約1万3千本程度
御樋代は遷宮の御用材の中でも大切なもの
御神体を納める器のことで
材は御神木と呼ばれ、杣人など
山仕事に従事する人々からは神聖視されています
木曽谷(長野県上松)・裏木曽(岐阜県付知)の
国有林から伐り出されています
平成17年 ここ裏木曽では
6月5日に御神木の「裏木曽御用材伐採式」が行われました
三ツ尾伐り(みつおぎり)の切り株です
内宮の御樋代木 樹齢300年超の天然ヒノキ
三ツ尾伐りは木曽地方で古くから貴重な材の伐り倒しに用いられてきた伐採法
三ツ緒伐り、三弦伐り(みつるぎり)、三ツ紐伐り(みつひもきり)とも
三方向から斧を入れ、伐倒方向が正確で、
心抜けや運搬中の突き割れの心配がないんだそう
熟練の技と準備が必要ですが・・・
この山、結構な急斜面
しかも内宮・外宮の2本を必要とし
それぞれが無節の上質な材であること
清らかな流れに近い土地にあることなど
数々の条件を満たさねばならず、
しかも伐採では2本の先端を交差させて倒すため、
2本が近くでなくてはいけません。。。
(上の木は外宮さんの)
こちら、牧野さん 三ツ尾伐りに取り組み、
急斜面での式典の舞台もつくりあげた方です
伐り出された2本の御樋代木は、
造材・化粧掛けをすませ、裏木曽国有林からふもとの護山神社へ
翌日は地元での御樋代木奉曳式、そして伊勢へと旅立ちました
訪れた御神木の山は、うっすら雪化粧
*・*・*・*
この木は樹齢350年[高さ22メートル、胸高直径70センチ]
平成9年10月30日に行われた
伐採始めの「斧入式」での三ツ尾伐り
平成25年の16年も前のこと
(上松では10/28に斧入式)
ってことは、
次の遷宮のための斧入式はもう4年後?
付知川の高樽滝
めちゃんこ、水、きれい
東濃森林管理署にて
斧入式の切り株の上部です
ちなみにぃ、上松のは、2008年に・・・
http://hamasanguu.seesaa.net/article/89333913.html
1日は裏木曽ツアーでした
御樋代の木、伐採地
やってきました付知です
遷宮で建てかえる社殿の御用材は御杣山から調達されます
古くは伊勢の神路山、島路山、高倉山から伐出されていましたが、
次第に適した材が欠乏し、各地に御杣山が定められ、
美濃の国、木曽・裏木曽からも供給されるようになりました
本格的に遷宮用材が伐出されたのは
宝永6年(1709)といわれています
幕藩体制の保護のもと神宮備林として、
戦前までは式年遷宮の用材だけに備える山でした
現在この山は国有林
そして伊勢のお山でも、大正時代からヒノキを植え始め
今回の遷宮では全体のおよそ24%、伊勢産が使われたそう
ちなみに1回の遷宮に必要なヒノキ材は約1万m3で
本数にして約1万3千本程度
御樋代は遷宮の御用材の中でも大切なもの
御神体を納める器のことで
材は御神木と呼ばれ、杣人など
山仕事に従事する人々からは神聖視されています
木曽谷(長野県上松)・裏木曽(岐阜県付知)の
国有林から伐り出されています
平成17年 ここ裏木曽では
6月5日に御神木の「裏木曽御用材伐採式」が行われました
三ツ尾伐り(みつおぎり)の切り株です
内宮の御樋代木 樹齢300年超の天然ヒノキ
三ツ尾伐りは木曽地方で古くから貴重な材の伐り倒しに用いられてきた伐採法
三ツ緒伐り、三弦伐り(みつるぎり)、三ツ紐伐り(みつひもきり)とも
三方向から斧を入れ、伐倒方向が正確で、
心抜けや運搬中の突き割れの心配がないんだそう
熟練の技と準備が必要ですが・・・
この山、結構な急斜面
しかも内宮・外宮の2本を必要とし
それぞれが無節の上質な材であること
清らかな流れに近い土地にあることなど
数々の条件を満たさねばならず、
しかも伐採では2本の先端を交差させて倒すため、
2本が近くでなくてはいけません。。。
(上の木は外宮さんの)
こちら、牧野さん 三ツ尾伐りに取り組み、
急斜面での式典の舞台もつくりあげた方です
伐り出された2本の御樋代木は、
造材・化粧掛けをすませ、裏木曽国有林からふもとの護山神社へ
翌日は地元での御樋代木奉曳式、そして伊勢へと旅立ちました
訪れた御神木の山は、うっすら雪化粧
*・*・*・*
この木は樹齢350年[高さ22メートル、胸高直径70センチ]
平成9年10月30日に行われた
伐採始めの「斧入式」での三ツ尾伐り
平成25年の16年も前のこと
(上松では10/28に斧入式)
ってことは、
次の遷宮のための斧入式はもう4年後?
付知川の高樽滝
めちゃんこ、水、きれい
東濃森林管理署にて
斧入式の切り株の上部です
ちなみにぃ、上松のは、2008年に・・・
http://hamasanguu.seesaa.net/article/89333913.html