お白石持ちは7月から9月
その奉献前に心身清める地元奉献団の浜参宮が
いよいよ、明日、4月7日からはじまります。
(奉献団トップはお膝元の茶屋清渚連〜)
7日は茶屋をはじめ、宇治は宇治から歩いて二見へ!
宮川町、徳川山、五十鈴ヶ丘(聞いたところでは)などなど
お天気心配ですが・・・
奉献の何ヵ月も前に禊いじゃって大丈夫なの?と
質問を受けました。。。
心配な方はどうぞ直前にも何度でも
浜参宮をと以前に書きましたが、、、
なんでこんなスケジュールなの?と
さらにつっこんだご意見を頂戴しました
準備など含め、心身清めてお白石奉献にあたるため
いくつもの団がまとまった人数で土日に集中、
祓いを行う二見興玉神社の調整のため
といったお話を聞きました
前々回(第60回)で今のようなスケジュールだったみたい
もっと詳しい記憶のある方!教えてください!!
ちなみに、自前の浜があるところは、
二見興玉神社さんに参拝はしておりません
二見でいうと、荘、西、今一色です
そうそう改まって、浜参宮=禊ぎについて
昭和39年発行の『二見文化誌』によると(原文ママ)
神宮が五十鈴の川上に鎮座すると、二見浦はみそぎ場と定められました。立石の浜(夫婦岩のところ)、打越の浜(荘・西あたり)、高城の浜(今一色)が選ばれ、かくて二見の浦の名とその風光は広く都人士の間にも知られるようになりました。
(中略)
みそぎの儀はイザナギの故事による。今でも神社の祭典に当つて最初にはらいの儀があります。そのとき
…イザナギの大神筑紫の日向の橘の小門のあはぎ原にみそぎはらいたまいし時…
と申し上げるのを聞くでしょう。それです。
イザナギは天照大神の父君である。そのイザナギはイザナミと結婚せられて、わがオオヤシマの国々をお生みになったという神話がある。二神はナギ、ナミと、ともに海面の状態を示す言葉を名とせられているので、海国日本の生みの親としてふさわしい神々であります。
イザナミは先になくなられた。イザナギは非常に悲しまれ、黄泉の国まで、後を追って行かれた。死体が腐り、臭気が鼻をつくのに驚き、逃げて逃げて、筑紫のあはぎ原まで来られ、やつとそこでみそぎして、けがれをすすいだという故事がある。
その後、日本民族の間に、神社に参拝するものは、まずみそぎして、心身共に清くして、神前にすすむ習慣が生じました。
神宮に参拝することは交通不便な昔にあっては一生に一度という大事であった、そこで、二見浦に来つて海水に浴し、身も心も清めてからするを例とするようになりました。
とあります。続きはまた追って・・・
我が地区三津は14日、来週浜参宮ぅ!