「石仙焼」は大へんいゝものであります。
先日も登場した「二見地誌」・・・
(昭和6年8月二見尋常高等小学校調査編集)
その名物の項で「石仙焼」
この色!
これが、石仙さんの石仙焼です
二見焼とも
以前にも紹介したけど
あんこ屋さんで火鉢を発見!
石仙さんのおじいさんは
美濃国不破郡赤坂に陶芸の窯を築いた
清水孫六さん(京都出身)
父の石遷に製陶を教わり
常滑で茶器などの製法を学んでから
明治40年に二見で開窯
朱泥や紫泥の地肌に型押しによる
装飾、彫刻がほどこされています
見つけたのは
ここ、ですよ!酒饅さんです
おばあちゃんのお舅さんが
持っていたものだとか
2013年01月31日
2013年01月30日
藻を刈る=儲かる
2013年01月29日
松下の小川
2013年01月28日
五十鈴川の引舟
2013年01月22日
大般若会
2013年01月19日
2013年01月17日
松下檜(マツシタヒノキ)
蘇民の帰りに立ち寄ったのが
天然乾燥木材にこだわる松下製材さん
これまでに
ウチは松下の檜つことるで丈夫やに
とか
船は松下の檜にかぎっとった
とか
あれこれ聞いてはいたものの
ナマを見せてもらったのは、はじめて
松下檜です(真ん中)
年輪緻密でしょ
色も惚れ惚れ深みがある
脂がぜんぜん違うらしい
なので重さはずっしり
松下の山って海が近く過ぎて過酷だから
がんばって強く育つんでしょね
かつては江(松下の隣)にも良質の松材があり
「松下檜に江の松」といわれてたんだそう
昭和6年8月二見尋常高等小学校調査編集の
「二見地誌」産物の項に・・・
山へ木の苗を植ゑたり、大きくなつた杉や松の木を切り出したり、薪を作つたり、炭をやいたりすることを、林業といひます。主として松下で行はれます。
「二見町史」の松下の歴史には・・・
山地が多いので、生活も山で働くことがかなりのウエイトを占めていた。
松、檜、杉が大樹をなし、樫、椎、今芽樫(ウバメガシ?原文ママ)が生い茂っていた。
超いい山じゃない!
林業の記録はほとんどないものの
天保9年(1838)御役所より会合所へ達しがあり、本丸と西ノ丸が炎上したから檜の木四尺以上を調べよという命令の報告書が残されています。
四尺廻りより五尺廻りまで 305本
五尺廻りより六尺廻りまで 100本
六尺廻りより七尺廻りまで 36本
七尺廻りより八尺廻りまで 6本
(※1尺=30.3cm)(1寸は1/10=3.03cm、ついでに1間=6尺)
四尺廻りで幹周り120センチですからね
でかい 太いね 大木です
松下製材ロゴ入りトレーナー
かわいい、ほしい
天然乾燥木材にこだわる松下製材さん
これまでに
ウチは松下の檜つことるで丈夫やに
とか
船は松下の檜にかぎっとった
とか
あれこれ聞いてはいたものの
ナマを見せてもらったのは、はじめて
松下檜です(真ん中)
年輪緻密でしょ
色も惚れ惚れ深みがある
脂がぜんぜん違うらしい
なので重さはずっしり
松下の山って海が近く過ぎて過酷だから
がんばって強く育つんでしょね
かつては江(松下の隣)にも良質の松材があり
「松下檜に江の松」といわれてたんだそう
昭和6年8月二見尋常高等小学校調査編集の
「二見地誌」産物の項に・・・
山へ木の苗を植ゑたり、大きくなつた杉や松の木を切り出したり、薪を作つたり、炭をやいたりすることを、林業といひます。主として松下で行はれます。
「二見町史」の松下の歴史には・・・
山地が多いので、生活も山で働くことがかなりのウエイトを占めていた。
松、檜、杉が大樹をなし、樫、椎、今芽樫(ウバメガシ?原文ママ)が生い茂っていた。
超いい山じゃない!
林業の記録はほとんどないものの
天保9年(1838)御役所より会合所へ達しがあり、本丸と西ノ丸が炎上したから檜の木四尺以上を調べよという命令の報告書が残されています。
四尺廻りより五尺廻りまで 305本
五尺廻りより六尺廻りまで 100本
六尺廻りより七尺廻りまで 36本
七尺廻りより八尺廻りまで 6本
(※1尺=30.3cm)(1寸は1/10=3.03cm、ついでに1間=6尺)
四尺廻りで幹周り120センチですからね
でかい 太いね 大木です
松下製材ロゴ入りトレーナー
かわいい、ほしい