2008年04月30日
太江寺 春季大祭
本日は江の太江寺へ
般若心経百巻行です
輪になって子どもから
お年寄りまで数珠繰りです
太鼓と般若心経がこだまします
風情ある藤の花も見頃
こちらピンク藤
新緑あふれる山の上
お散歩もいいですよ
石楠花も満開
太江寺のふじまつりは
5月6日までです
たけのこご飯もやってます
★ google map で太江寺の場所を紹介
2008年04月28日
三津の稲生神社も御遷宮!
田植えのピークの日曜日
自転車で三津の稲生神社へ
朱色の鳥居をくぐって
杜の中へ
稲生神社の歴史は古く
寛延四辛未年(1751)三津村祢宜の家田端大郎大夫が
二見郷中の神祭を書き改めた写しに記載されてます
それは「郷中入用次第覚」
天保三年(1683)九月八日
三津村祢宜である家古葉彦太郎の起筆によるもの
祭日やお供え物などが詳しく書かれているようです
およそ420年前の書物に出てくるのです
おっ拝殿向こうの
社殿がないっっっ
あった あった
いまお社は拝殿横の
空き地に遷されております
その理由は…
平成20年11月
御遷宮を迎えるのです
白石も池の横に
山積みされてました
11月に向けて
ここに新しいお社が
建てられるのです
静かで広い境内
奥の石段を上ると
東山稲荷さんです
神社は子どもたちの恰好の遊び場
鯉のいる池があって
いろんな植物があって
あれこれ探検
この季節
つつじが鮮やかに彩ります
■ 稲生神社への地図 です!
自転車で三津の稲生神社へ
朱色の鳥居をくぐって
杜の中へ
稲生神社の歴史は古く
寛延四辛未年(1751)三津村祢宜の家田端大郎大夫が
二見郷中の神祭を書き改めた写しに記載されてます
それは「郷中入用次第覚」
天保三年(1683)九月八日
三津村祢宜である家古葉彦太郎の起筆によるもの
祭日やお供え物などが詳しく書かれているようです
およそ420年前の書物に出てくるのです
おっ拝殿向こうの
社殿がないっっっ
あった あった
いまお社は拝殿横の
空き地に遷されております
その理由は…
平成20年11月
御遷宮を迎えるのです
白石も池の横に
山積みされてました
11月に向けて
ここに新しいお社が
建てられるのです
静かで広い境内
奥の石段を上ると
東山稲荷さんです
神社は子どもたちの恰好の遊び場
鯉のいる池があって
いろんな植物があって
あれこれ探検
この季節
つつじが鮮やかに彩ります
■ 稲生神社への地図 です!
2008年04月27日
海岸清掃
2008年04月25日
神宮・鎮地祭
遷宮のための新しい御殿を造営するにあたり
新御敷地で最初に執り行われるお祭りです
一般には 『地鎮祭』 ですが
神宮は 『鎮地祭』 です
内宮の
造営作業の安全と無事の完成を祈ります
内宮の斎館を午前9時出発
御正殿へと向かいます
こちら第2鳥居です
新緑がきれいです
そして白い衣装の神職さんにまじって
緑の小さな女の子も参列
物忌と呼ばれる童女が
このお祭りの重要な役目を担います
この石段の上が御敷地です
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こちら正殿真裏、別宮の荒祭宮
ここのお木を
役木曳で運びましたね
●荒祭宮の役木曳です⇒http://hamasanguu.seesaa.net/article/16497581.html
(もう2年前になりますね)
となりの御敷地では祭事の
準備が整っています
かまで草刈り初めの式を
続いてくわ入れの式が行われます
今日4月25日は午前に内宮正殿と別宮荒祭宮
午後には外宮正殿と別宮多賀宮で
鎮地祭が行われました
2008年04月19日
姫小松…
二見には3文字漢字で
ちょっと珍しい名字が
あります
浜千代さん
五十子さん
姫子松さん
(だいたい二見の人間は…)
(高校でこの苗字が普通じゃないと知って…)
(え"っ?…、となるんです)
姫子松姓の理由はここにあり!
ちいちゃな 『姫小松』 という
植物なんですね
ちなみにこれ↑は京都下鴨神社のもの…
二見産じゃなくてゴメンナサイ
昔は川幅広く湊まであった三津の五十鈴川
その川の向こう(朝熊方面)に
たくさんの姫小松があったそうな
そこに住んでいた人たちが
川のこっち側にやってきて
三津に暮らしているんだと
ちょっと珍しい名字が
あります
浜千代さん
五十子さん
姫子松さん
(だいたい二見の人間は…)
(高校でこの苗字が普通じゃないと知って…)
(え"っ?…、となるんです)
姫子松姓の理由はここにあり!
ちいちゃな 『姫小松』 という
植物なんですね
ちなみにこれ↑は京都下鴨神社のもの…
二見産じゃなくてゴメンナサイ
姫子松
退石の下30m位のところにある石窟を下りたところ、
(五十鈴川派川沿い料金所を超えた美化センター辺り)
稚松が生していて幾年も経るもなお稚松の如し、
と云われている。三津区内に姫子松姓を名乗る祖先は
ここに居住していたと云われる。(町史より)
昔は川幅広く湊まであった三津の五十鈴川
その川の向こう(朝熊方面)に
たくさんの姫小松があったそうな
そこに住んでいた人たちが
川のこっち側にやってきて
三津に暮らしているんだと