(ちゅうか、管理人がアップをサボってた?)
二見にある神宮摂社・末社めぐり
堅田神社編です
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さてさて堅田神社…
これまでの粟皇子神社、神前神社、江神社と違い
まちなかにある125社
大きい看板が出てることは
そうないですが
こんもりした緑の杜を目印に
うろうろすれば
たどりつけます
こちら堅田神社の杜
二見総合支所の向かいです
(めっちゃわかりやすいです)
国道のすぐそばに
入り口があります
住宅地にかこまれ
車の通りのすぐそばなのに
杜の中はひっそり
堅田は潟田
海岸の入り江にある田のこと
塩を取るための塩田です
その守り神・佐見津日女命を
祀る神社です
倭姫命がこの地を巡行されたとき
堅塩を奉ったお方です
そのとき、大若子命が御塩浜と
御塩山を定めたとされます
佐見津日女の神名は佐美山や
茶屋地区内を流れる鮫川と関連してるとか
※ひとくちメモ※
鮫川という小さな流れは、昔の入江痕と言われています。今の二見総合支所やJR二見浦駅あたりまで昔は海だったんですって。というのもJR二見浦駅周辺の地質調査で海草の層が発見されてたり、現在の二見小学校を建設するためのボーリング調査でも海草層が発見されていたりします。
こちら国道と反対側の入り口
ほら一歩出ると住宅地
白石が敷き詰められてます
ん これは
なんだろ
国道側の入り口
どんつきあたりに
石段と堀が…
(これほんま何ですか?お心当たりの人…)
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そうそう社殿の真上って
空とつながってますよね
鎌倉時代、女西行といわれた歌人
後深草院二条は伊勢・二見を訪れ
佐美の明神と申すやしろは なぎさにおわします。それより舟にのりて、答志の島、御饌の島、通るしま(潜り島)などを見に行く
とこの神社のことにふれています。
※ひとくちメモ※
堅田神社のあたりは長く塩田跡として放置されていましたが、江戸幕府成立直前の天正年間に立石(夫婦岩)への禊参拝客目当てのお茶屋さんが塩田跡地にでき始めたそうです。それが今の二見旅館街、茶屋地区の始まり…、なのだそうです
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●堅田神社/皇大神宮摂社
●祭神/佐見津日女命
★堅田神社はココ(二見総合支所のまん前の杜です)