霜月です
そして朔日
朔日餅ない月は
さみしいですね
でもおかげ横丁の
朝市はやってるって
聞いたので行ってみました
朝夕冷え込み
横丁も秋の装い
季節の野菜や干物が
並ぶ朝市です
本店赤福閉まってて
やっぱり少し
さみしいですが
こちらすし久前
朔日粥のファンが多いので
にぎわっとりました
今月はカキ
神宮神域も秋色です
2007年11月01日
皇大神宮摂社・粟皇子神社
神宮さんて 内宮と外宮だけじゃないんです よ
125社からなる大家族なんです
内宮の中にもたくさんお社あるじゃないですか
荒祭宮とか…(役木曳で二見が担当しましたよ)
二見町内にもいくつかの摂社末社所管社があります
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二見町松下の粟皇子神社
池の浦のホテル海の蝶の裏手にあります
海沿いへ降りていくと
ひっそりとお社が建っております
杜には大きな木が生い茂ります
境内にはきちんと御敷地もありまして
お社の建て替えも行われます
20年に一度の遷宮ではなく
痛んだところを直しつつ
でも40年に一度は必ず
お遷りしてるようです
時は垂仁天皇のころ倭姫命さんが
天照大御神の御鎮座の場所を
探し求め旅しているときに
淡海子(あわみこ)神が
御贄をささげたことにより
このお社を定めたそうな
お社裏の浜辺には
海草がたくさん
(興玉さんでおなじみの…)
(アマモ…、もとい無垢塩草ですね)
伊気浦(池の浦)の海辺を守る神様
透き通る海の向こうには飛島が見えます
そもそも粟皇子さんは
伊気浦の中之島にあったようです
お社が建てられないと
元禄5年(1692)に
中之島から見た二見側の岸辺
松下小字鳥取に再興されたんだそうで
ちなみに中之島は、鳥羽から二見への
国道沿いからよく見えます
池の浦の真ん中に浮かぶ岩礁です
(二見…、もとい伊勢市と鳥羽市の境界です)
さらにもう一回
あまりに海辺であったので
高潮の被害を受け
正徳2年(1712)、
今の場所に移転したのであります
行き方は2通り
ホテルの裏手を通っていくか
松下の森を抜け
海岸に出るルートもあります
きちんと道がついているので
波の音を聞きながら散策できます
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●粟皇子神社
祭神・淡海子神
#皇大神宮摂社
※粟皇子神社の地図は、こちら
125社からなる大家族なんです
内宮の中にもたくさんお社あるじゃないですか
荒祭宮とか…(役木曳で二見が担当しましたよ)
二見町内にもいくつかの摂社末社所管社があります
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二見町松下の粟皇子神社
池の浦のホテル海の蝶の裏手にあります
海沿いへ降りていくと
ひっそりとお社が建っております
杜には大きな木が生い茂ります
境内にはきちんと御敷地もありまして
お社の建て替えも行われます
20年に一度の遷宮ではなく
痛んだところを直しつつ
でも40年に一度は必ず
お遷りしてるようです
時は垂仁天皇のころ倭姫命さんが
天照大御神の御鎮座の場所を
探し求め旅しているときに
淡海子(あわみこ)神が
御贄をささげたことにより
このお社を定めたそうな
お社裏の浜辺には
海草がたくさん
(興玉さんでおなじみの…)
(アマモ…、もとい無垢塩草ですね)
伊気浦(池の浦)の海辺を守る神様
透き通る海の向こうには飛島が見えます
そもそも粟皇子さんは
伊気浦の中之島にあったようです
お社が建てられないと
元禄5年(1692)に
中之島から見た二見側の岸辺
松下小字鳥取に再興されたんだそうで
ちなみに中之島は、鳥羽から二見への
国道沿いからよく見えます
池の浦の真ん中に浮かぶ岩礁です
(二見…、もとい伊勢市と鳥羽市の境界です)
さらにもう一回
あまりに海辺であったので
高潮の被害を受け
正徳2年(1712)、
今の場所に移転したのであります
行き方は2通り
ホテルの裏手を通っていくか
松下の森を抜け
海岸に出るルートもあります
きちんと道がついているので
波の音を聞きながら散策できます
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●粟皇子神社
祭神・淡海子神
#皇大神宮摂社
※粟皇子神社の地図は、こちら