2007年10月12日

川曳法被の謎!

川曳の法被って
微妙〜にお揃いですよね

これこれ

これこれ!

実はこれ、
40年前(昭和41年)のデザイン

川曳連合団長会議という
厳粛なる!集まりで
四郷と二見が同じ柄の法被を
作ることになったようです

以下、お揃い法被の謎を
解き明かしてくださった
三津のおじいちゃんの
原稿ママです


「四郷と二見が合意の上、同一の上衣を伊勢市駅前にあったオカダヤ百貨店へ図柄もまかせて注文して作成しました。」



オカダヤ、だそうで。

そして偶然にも、当時の
オカダヤの営業マンが
知り合いにおりまして…
(今は某美術館のえらいさん)

聞きましたら
四日市の染物屋さんでこしらえたんだと

町の特徴なんかをレクチャーし
それぞれ2、3の柄を提案したそうな

当時のオカダヤは法被(&トレパン)で
大儲けしたそうですに、お木曳経済効果!

あっオカダヤって
ジャスコです、もう駅前にはないけど

で、さかのぼって、
その前のお木曳は昭和17年。


「太平洋戦争が始まって、物資が不足の時代、商店はとてもハッピは出来ません。それで、伊勢市長さんより、伊勢神宮の社殿造営奉仕の精神に應じて、特別を以て清浄なる衣服用反物の交付を政府に申請して、一戸当たり、ズキン、上衣、ズボンと割当配当がありまして、白一色で奉曳致しました。」



さすが、伊勢市長!!!

で、更にさかのぼること、大正時代。
このときの衣装はこの書物から…

これが語ります!


「一般奉曳者 上法被、木綿藍色地、背に八咫鏡を朱く染め抜き 中に今、中、三、溝、山、二の六字を赤く現はし、袖に櫻花、楓葉を白く抜き下に波状を描き 楓の浮きたるを白く染抜き襟は紺碧色とし、町名の略號を現はす。

帯、茶色木綿の三尺帯、波状三線及水玉模様を白く染抜く。腹當、脚絆、紺木綿。手拭い、豆絞形。提灯、長形、上部に朱色波状二線、下部に藍色波状三線、中部に八咫鏡を朱く描き、中に町名略號を墨にて書く。

【右 今在家町、中之切町、二見町三津、山田原、溝口、濱ク村二軒茶屋】」



大正11年(12年)は
6団がお揃いだったようで…

このときの三津、浜荻団の法被図柄を
思い出して、描いてくださいました。

じゃんっ!

じゃんッ!

すてきです。
posted by 浜参宮観察隊 at 00:39| Comment(2) | TrackBack(0) | お木曳き関係で…> 小ネタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする