一、夫婦岩 ・ 弐、五十鈴川 ・ 参、御塩殿 ・ 四、潜島 ・ 五、高城濱
六、濱荻 ・ 七、西行庵 ・ 八、太江寺 ・ 九、音無山 ・ 十、清渚
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二見で御塩殿神社といえば
吉居のおじいちゃん
神宮にお供えする塩を
作り続けて68年
海水をから煮詰めた
塩を焼き固める重要なお仕事は
吉居さんの腕にかかっているのです
それはいつも
3月と10月
たまたま晴れた日に神社を
のぞいてみたらその最終日

吉居さんに焼き固めた三角形の
御塩を見せていただきました!

感激です

塩焼きって陶芸と似てるんだそうで
確かに窯から出す瞬間は
長年培われてきた勘が決め手です
吉居さんの場合
塩の方から声をかけてくれるんだとか
「もう出してもいいよ」って

うーん
さすが
達観しております

境内のお掃除も吉居さんの役目です

こちら海側からの御塩殿神社一帯
松林の奥にひっそりと佇んでいます

そこから海沿いに走り
今一色の港前も通り
たどり着いたのが
入浜式塩田です
タテ38メートル ヨコ31メートル
まわりは溝が巡らされてます

内宮の神域を流れる五十鈴川
伊勢湾まであと2キロの地点
このあたりの海水まじりの水が
樋門を通って塩田にはいるのです

樋門を…,ちょっと拡大
おぉ神宮司庁の文字が

夏の土用 この浜で濃い塩水を
とる作業が行われます
“採かん作業”です
@浜おこし(地盤のすきおこし)
A満潮時に潮を入れる
B塩田全体が冠水
B浜をひろげる(砂をむらなく撒く)
C浜をかえす(太陽に乾かされた砂に塩がつく)
D浜をよせる(乾いた砂は沼井に運ばれる)
E潮をおそう(沼井にかん水と海水を注ぐ)
F採かん(沼井の下穴に砂の塩分を溶かしたかん水が溜まる)


(2005年7月)
塩田,昔は今の御塩殿神社の
西隣の海岸にあったそうですが
年々の風波侵食で塩田を移さざるを得なくなり
入り江で風波の侵食の恐れがない
今の場所になったとか
寛政4年(1751年)の旧記帳に
『北浜(注:御塩浜)だんだん波にて欠け申し候』
って書いてあるそうで
そしてここで作業をすませた
かん水は神社の御塩汲入所に
運ばれます
これが御塩汲入所(向かって右)
となりが御塩焼所(向かって左)

天地根元造りという
かやぶきの三角屋根
太古を感じます


8月に汲入所からかん水を運んで
平釜でコトコト煮詰め
塩の結晶ができると木鍬ですくい
苦汁を切ります
そして荒塩は俵に詰められ
御塩焼き堅めつまり吉居さんの作業を
待つのです
三角錐の素焼きの型に
荒塩を詰め堅塩に焼き固めます
焼き固めるのは苦汁が溶け出さず
長く貯蔵できるからなんだそうで
御塩は年間400個ほど
神宮でこの堅塩を砕き
すべてのお祭りに使うのです
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そうそう それと
こんな手作り看板が町内のあちこちに

神様へお供えする「御塩」を運んだ道
御塩殿から外宮まで続く約8キロを
昭和12年までは唐櫃担ぎ列を組み
歩いて運んでいたそうな
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そして余談
遠い昔 小学校5年生のとき
夏休みキャンプがありました
そん時にですね 夜のお楽しみに
夏ですし 肝試しがあったんです
それが御塩殿神社の中で!
闇の中 突然飛び出すおばけ役を
先生たち・・・
今もやってるかしらね
大人になって気付いけど
それって神宮所官社じゃん!
これ神宮さんが聞いたらどうなんだろ???
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『二見十景・参/御塩殿』
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