11月4日の土曜日
毎年交流のある西条だんじり
今年はお木曳行事を記念して
過去最大数のだんじりが
やってきておりました
愛媛県西条市はここ!↓
(いつもの動く地図の画面だけど…)
(今回は,動きませぬ…)
(大人になると色々な事情ってもんが…)
お昼すぎに宇治を出て
御木本道路経由して
夕方外宮さんへ
3連休ってこともあり
市内はめっちゃ混雑
昼間に動けず
夜の外宮前でキャッチしました
外宮前で信号待ちのだんじり
すんごい人・人・人
神宮参道を32台のだんじりが
次から次に練っていきます
お木曳法被の姿も!
西条にだんじりが登場したのは
江戸中期 300年の歴史です
各町自慢の提灯にろうそく灯り
とってもにぎやかな夜でした
2006年11月05日
猿田彦神社夕御饌祭
2006年11月04日
宮沢賢治と二見…
昔も今も修学旅行の団体さんの多い、二見
(ここ何年かは数がだいぶ減りましたけど…)
(管理人がチビの頃…)
(旅館街は身動き取れないくらい、修学旅行生でいっぱいだったんだけどなぁ…)
で、いきなり (ホントいきなり) 話題が飛びますが、すいません
かの宮沢賢治は
盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)学生時代
修学旅行で二見を訪れていた…
(賢治が好きな個人的趣味で、すいません)
で、そのときの様子が賢治自身の筆で残っています
わおっ
上記の年譜、続きます
むほほ
この「紀行文」、見つけました
『盛岡高等農林学校農学科第二学年修学旅行記』
(校本宮沢賢治全集第十二巻下:筑摩書房1976年より)
500文字足らずの短い文章ですが
きちんと伊勢・二見のことが出てきます
(この本、伊勢の図書館で見つけました)
全文載せたいけど…
長くなりすぎるので、やめます(えっ?
以下の引用は伊勢・二見に関する部分の抜粋です
上の年譜にもあるように各地の農事試験場を見学
京都駅で解散後伊勢に向かいます
500文字、それほど深く
伊勢二見を語っているわけではないですが…
このあたり求道的精神の強い賢治ならではの感慨ですな
さて、内宮参拝後、日露戦争の記念品(…尾上の虎尾山のこと?)
を見物しいよいよ二見へ入ります
夫婦岩を 『立石』 と書いているあたりが興味深い…
当時はまだ、夫婦岩の名称は一般的ではなかったのかな?
(明治44年の文章に夫婦岩の名は初見)
おぉ宮沢賢治は二見館に泊まったのですかぁ!
もっとも二見館は平成13年に旅館業を廃し
今は二見館別館 『賓日館』 が資料館になっております
●賓日館 : http://hinjitsukan.com/
いろいろ立場上(どんな立場!?)
賓日館にはよく足を運ぶんですが
宮沢賢治の資料は、見たことないなぁ…
しかし今回は…
文字ばっかりの半分趣味な記事で
すみませぬ…
(ここ何年かは数がだいぶ減りましたけど…)
(管理人がチビの頃…)
(旅館街は身動き取れないくらい、修学旅行生でいっぱいだったんだけどなぁ…)
で、いきなり (ホントいきなり) 話題が飛びますが、すいません
かの宮沢賢治は
盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)学生時代
修学旅行で二見を訪れていた…
大正5年(1916)
20歳。三月、修学旅行により、東京、静岡(興津)、大阪、京都、奈良、大津等の農事試験場を見学、解散後、二見、渥美、知多両半島、箱根を周遊
角川文庫版・ 『銀河鉄道の夜』 宮沢賢治年譜(p.274)より
(賢治が好きな個人的趣味で、すいません)
で、そのときの様子が賢治自身の筆で残っています
わおっ
上記の年譜、続きます
七月、「修学旅行紀行文」(『盛岡高等農林学校校友会会報』三十一号)を発表
むほほ
この「紀行文」、見つけました
『盛岡高等農林学校農学科第二学年修学旅行記』
(校本宮沢賢治全集第十二巻下:筑摩書房1976年より)
500文字足らずの短い文章ですが
きちんと伊勢・二見のことが出てきます
(この本、伊勢の図書館で見つけました)
全文載せたいけど…
長くなりすぎるので、やめます(えっ?
以下の引用は伊勢・二見に関する部分の抜粋です
上の年譜にもあるように各地の農事試験場を見学
京都駅で解散後伊勢に向かいます
500文字、それほど深く
伊勢二見を語っているわけではないですが…
先ず外宮に参拝し自動車にて直ちに内宮に向ふ。五十鈴川の清き流れに顔を洗い大樹森々たる御苑の中を縫うて進めば其の神々しさは言語に絶し神前に対する時自ら頭の下がるのを覚えた。
このあたり求道的精神の強い賢治ならではの感慨ですな
さて、内宮参拝後、日露戦争の記念品(…尾上の虎尾山のこと?)
を見物しいよいよ二見へ入ります
日露戦争の記念品を見旧街道を見物して後二見ヶ浦に向ひ直ちに立石に行かば折から名物の伊勢の夕凪にて一波立たず油を流したるが如き海上はるかに知多の半島はまぼろしの如くでその風景の絶佳云はん方なしだ。
夫婦岩を 『立石』 と書いているあたりが興味深い…
当時はまだ、夫婦岩の名称は一般的ではなかったのかな?
(明治44年の文章に夫婦岩の名は初見)
一同二見館に宿り翌朝日の出を拝し静かなる朝凪を利用して汽船にて三河国蒲郡に着し直ちに東京に向かった。(完)
おぉ宮沢賢治は二見館に泊まったのですかぁ!
もっとも二見館は平成13年に旅館業を廃し
今は二見館別館 『賓日館』 が資料館になっております
●賓日館 : http://hinjitsukan.com/
いろいろ立場上(どんな立場!?)
賓日館にはよく足を運ぶんですが
宮沢賢治の資料は、見たことないなぁ…
しかし今回は…
文字ばっかりの半分趣味な記事で
すみませぬ…
2006年11月02日
いえぃっ!
ありがとございます
また二見メジャーデビュウを果たしました!
(2回目を,デビュウと言うのかぇ…?)
毎度ながら中日新聞二見専売所・井阪新聞店さん
ありがとうございます
11月1日,昨日の中日新聞朝刊に入っております(二見だけです)
以前もお世話になったケロケロタウンです
以前…→http://hamasanguu.seesaa.net/article/24707556.html
今回は二見十景の記事を掲載してもらいましたです!
いつも気に留めてくれて,ありがとうです
ケロケロマン様…
また二見メジャーデビュウを果たしました!
(2回目を,デビュウと言うのかぇ…?)
毎度ながら中日新聞二見専売所・井阪新聞店さん
ありがとうございます
11月1日,昨日の中日新聞朝刊に入っております(二見だけです)
以前もお世話になったケロケロタウンです
以前…→http://hamasanguu.seesaa.net/article/24707556.html
今回は二見十景の記事を掲載してもらいましたです!
いつも気に留めてくれて,ありがとうです
ケロケロマン様…