2006年10月28日

二見十景・弐/五十鈴川

二見十景目次
一、夫婦岩 ・ 弐、五十鈴川 ・ 参、御塩殿 ・ 四、潜島 ・ 五、高城濱
六、濱荻 ・ 七、西行庵 ・ 八、太江寺 ・ 九、音無山 ・ 十、清渚


●『二見十景ってなんじゃ?』…はこちら↓
http://hamasanguu.seesaa.net/category/2091208-1.html


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内宮奥,高麗広の山に源流を持ち、内宮神域を抜け鹿海で二本に別れる五十鈴川


その二本に分かれた五十鈴川に囲まれる二見町


(除く松下地区…)


(松下地区が二見町になったのは,実は明治以降です)


(それまでは宇治郷松下村,だったそうですよ)


まあ地図で確認しましょかぁ
(地名のフォローも入れてあります。クリック&拡大してくだされ)

こんなかんじですぃ


伊勢市街方面から鳥羽へと行くとき
二見に入るときにわたる汐合大橋と
シーパラダイスを越えて渡る橋…


と二回橋を渡りますよね?ね?ね?


二本に分かれた五十鈴川です


(ちなみに 『汐合』 を『しおあい』と読まずに…)


『しわえ』 と読んだあなた…)


(二見人度数100%です!)


(うれしいでしょ?)


(えっ?まぁ……、はい……)


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シーパラダイス近くの五十鈴川は
正式には五十鈴川 『派川』 とおまけ扱いですが…

ha.jpg
(写真はサンアリーナ近く,三津地区の引舟橋)


大昔はこっちが本来の五十鈴川…


(というか、汐合大橋側に川は流れていなかったんですわ)


(…どうでもいいけど、シーパラダイスという名前が長くめんどくさい!)


(というわけで本来の地区名、江地区とします)


その本来の五十鈴川が取り持つ
内宮と二見の深い関係


倭姫命が天照大神をお祀るする場所を求めて
伊勢の地にこられ五十鈴川を遡りました
(もちろん江地区側から)


河口付近の浜で人に案内を請うたところ
この人、口が利けなかったらしく
黙って塩を差し出すばかり


以来神宮の塩は二見で作るようになったとか


日が暮れて倭姫命ご一行は
川の中に浮かぶ島(!)で
一晩休むため船をつけました


そのためそのあたりを御津(みつ;今の三津)
と呼ぶようになったとか


そうそうだから、二見の旧神領・内宮領は
全てこの江側に流れる五十鈴川沿いの地区です。


ときに川の中に浮かぶ島ですが…


サンアリーナから二見へ入るとき渡る
引舟橋の付近におまんじゅうのような
小さな山(森?)がいくつか見えます

山…?森…?


これすべて昔は五十鈴川の中に浮かんでいた島、だったとか


一番分かりやすいのはサンアリーナの公園にある
展望台をかねた小山ですな

サンアリーナ公園展望台PG


これらはぜんぶ元は島だったとか


サンアリーナのやつ
今では公園の池のため
ほんま島みたいになって見える…


またこのころ五十鈴川の川幅は
数百メートルもあったそうで
(川幅300メートル近く、という話しもあり)


今の伊勢二見鳥羽ラインのあたりまで
五十鈴川の中だったみたいですね


また戦国時代村…、じゃなかった
安土桃山文化村の下あたりは葦原の入り江で
舟をつけるのに好都合な場所だったそうな


葦原は…、伊勢の濱荻として世に有名ですわ
(その六でやりまする)


三津地区は当時港があり
(津は港の意味ですねぇ)
宇治から来る道の渡し舟があったところ


引舟橋という名に少し当時の面影が…

引舟橋…


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そんな五十鈴川が今のように二本の流れになったのは…


およそ500年前の明応7年(1498年)…


8月に発生した大地震で
単なる入り江だった今一色側に大津波が押し寄せて
一気に五十鈴川の流れを今のように変えてしまったとか


(大湊で6〜10メートルの津波だった、との資料あり)


時代は足利氏の勢力が弱体化し
群雄割拠の戦国時代へと突入するころですな


明応7年(1498年)8月25日の地震
マグニチュード8級。紀伊から房総にかけての海岸と甲斐で震動大きかったが,震害はそれほどでもない。津波が紀伊から房総の海岸を襲い、伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万,静岡県志太郎で流死2万6千など。南海トラフ沿いの巨大地震とみられる。日本最大級の地震とされる。

■災害の歴史
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/bousai_s/html/history/nenpyo1.html
より


ちなみにこの地震のため、浜名湖が海とつながったんですと…


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さてさて,そんな五十鈴川のおすすめ風景を少し…


●まずは江側の河口から
江の河口
(写真1:江の河口を海に向かって…)

江の漁港
(写真2:上の場所で振り向くと…,江の漁港です)


●お次は今一色側の河口風景です
今一色漁港1

今一色漁港2
(写真3,4:今一色の漁港です)

大湊方面
(写真5:川向こうは大湊。遠くに堀坂山や飯南・飯高の山々が…)

汐合方面…
(写真6:このあたりは川幅も広く水面も穏やか。後ろは朝熊山。管理人いちおしの風景)


●引舟橋あたりは西の空が広がります。今の季節,夕焼けがきれいです
舫う小船…
(写真7)

夕日…
(写真8)

夕日とすすき…
(写真9)

※写真7,8,9は朝熊のケアハウス裏で…


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『二見十景・弐/五十鈴川』
(+をクリックしてもらうと拡大,−をクリックしてもらうと広域…)
(上下左右の矢印をクリックしてもらうと,それぞれ北南東西移動…)
(オレンジのマーカーの黒丸部分をクリックしてみてくだされ…)

posted by 浜参宮観察隊 at 14:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 二見十景> 二見十景 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする