2006年08月28日
夫婦岩サミットでしめめなわ曳き(募集…?)
一年次のお木曳終わってしまいましたが
曳き足りない(?)と感じでいるアナタ!
来週二見で曳っぱれますよ!しめなわ曳きですが・・・
夫婦岩サミットなるものがありまして
日本各地の夫婦岩のあるところから
はるばる二見にやってみえます
詳しくは,全国夫婦岩サミット連絡協議会 をどうぞ
毎年持ち回りで行っている夫婦岩サミット
今年は第一回夫婦岩サミット開催地,二見町へ一巡します
その会議のお楽しみコーナー(?)で
旅館街でしめなわ曳きをやるのです
サミットも入場無料ですから
お時間ある方は是非是非お越しくださいな
賓日館の大広間です
しめなわ曳きは旅館街です
2006年08月25日
興玉神社のハマボウ
興玉神社の裏参道…
そう、一日神領民さんたちが通っていた竜宮浜からのあの参道
この裏参道にひっそりと?咲く「ハマボウ」の木があります
ハマボウとは・・
アオイ科、黄色い花で木槿に似ているため
「黄槿」の漢字が当てられています
和製ハイビスカスって感じ?
三重県内でも「ハマボウの群生地」なる所が数カ所あります
この7月中旬〜8月中旬が見頃だとか
この興玉神社の「ハマボウ」にはちょっとした歴史があるんです
まぁ聞いて下さいな
今では3メートル近くにまで成長したハマボウさん
約20年前に県内のあるお方から奉納されました
このお方は太平洋戦争に従軍され
一緒に戦った戦友たちのために
慰霊の意味を込めてハマボウの鉢植を育て
あちこちに配っておいでだそうです
ハマボウって川など水が流れる所にも咲く花?だから
川を伝って海へと流れる
そうすることで海で撃沈された戦友たちの慰めになれば…
という想いがあるんだとか
それがなんでまた興玉さんに??
これがまたいい話があるんです
このお方、戦地で「九死に一生」を得て帰ってこられました
中国大陸方面にて攻撃中、鉄帽に銃撃を受け倒れました
周囲が戦死を確信したにもかかわらず
本人さんは数分後に目を覚ましましたとか…
なぜに??
弾丸は星章の下で止まり
鉄帽覆の中に止まっていたとのこと
その星章の裏にはなんと!!
興玉さんの『無事カエル御守』が入っていたそうな
陶器製で2センチくらいものだったとか
この興玉さんの御守カエル
『無事カエル』ように祈願して頂いたものだったそう
こうして興玉さんに強い御加護を感じ
ハマボウさんの奉納に繋がったのです
近年では、ハマボウさんが育ち始める春
そう5月の大注連縄張神事の際に
鉢植を興玉さんに奉納し
参拝者に配ってもらっているそうです
二見から旅立ったハマボウさん
今年も全国のあちこちで花を咲かせているのでしょうか??
ちなみに・・・神社のハマボウさん
また蕾はあるみたいだからも少し咲くみたい??
ちょっと旬が過ぎた小ネタとなりました…
そう、一日神領民さんたちが通っていた竜宮浜からのあの参道
この裏参道にひっそりと?咲く「ハマボウ」の木があります
ハマボウとは・・
アオイ科、黄色い花で木槿に似ているため
「黄槿」の漢字が当てられています
和製ハイビスカスって感じ?
三重県内でも「ハマボウの群生地」なる所が数カ所あります
この7月中旬〜8月中旬が見頃だとか
この興玉神社の「ハマボウ」にはちょっとした歴史があるんです
まぁ聞いて下さいな
今では3メートル近くにまで成長したハマボウさん
約20年前に県内のあるお方から奉納されました
このお方は太平洋戦争に従軍され
一緒に戦った戦友たちのために
慰霊の意味を込めてハマボウの鉢植を育て
あちこちに配っておいでだそうです
ハマボウって川など水が流れる所にも咲く花?だから
川を伝って海へと流れる
そうすることで海で撃沈された戦友たちの慰めになれば…
という想いがあるんだとか
それがなんでまた興玉さんに??
これがまたいい話があるんです
このお方、戦地で「九死に一生」を得て帰ってこられました
中国大陸方面にて攻撃中、鉄帽に銃撃を受け倒れました
周囲が戦死を確信したにもかかわらず
本人さんは数分後に目を覚ましましたとか…
なぜに??
弾丸は星章の下で止まり
鉄帽覆の中に止まっていたとのこと
その星章の裏にはなんと!!
興玉さんの『無事カエル御守』が入っていたそうな
星章
旧日本陸軍の軍用ヘルメットは布製のカバーで覆われてそのカバーの上、ヘルメットの前頭部に星のマークが縫い付けられていたそうです
陶器製で2センチくらいものだったとか
この興玉さんの御守カエル
『無事カエル』ように祈願して頂いたものだったそう
こうして興玉さんに強い御加護を感じ
ハマボウさんの奉納に繋がったのです
近年では、ハマボウさんが育ち始める春
そう5月の大注連縄張神事の際に
鉢植を興玉さんに奉納し
参拝者に配ってもらっているそうです
二見から旅立ったハマボウさん
今年も全国のあちこちで花を咲かせているのでしょうか??
ちなみに・・・神社のハマボウさん
また蕾はあるみたいだからも少し咲くみたい??
ちょっと旬が過ぎた小ネタとなりました…
2006年08月24日
三津の会式;後日談…
そうそう,このあいだアップした『三津の会式』
8月21日の伊勢新聞に紹介されておりました
三津の会式→http://hamasanguu.seesaa.net/article/22613856.html
思い出したように,なんじゃ今頃と旬の外れた話題ですが…
『子供みこし練りだす』
伊勢の二見町三津地区;稲生神社で例大祭
という見出しですわい
なんでも,新聞によりますと
少なくとも寛政年間から続くお祭りだそうで
寛政…,1624年から1643年までの期間を指します
徳川家康が征夷大将軍になって江戸幕府を開くのが,1603年ですねぇ
ちょっと調べたら,寛政14年(1637年)に有名な島原の乱が起こっています
そのころにはすでにあったお祭り
恐るべしです,うむむ〜
三津地区というのは
山田から二見浦へ来る道と
朝熊経由で宇治から二見浦へ来る道が合流するところです
『三津』という名のとおり,港があったらしいです
(今の五十鈴川派川,アリーナ横のゴルフ場近所ににかかる橋の辺りですな)
ここの地区には,なんかしらんオモロいものがあるような…
なんてったて
重要文化財に指定されている薬師如来像
を納めるお寺があるくらいですから…
8月21日の伊勢新聞に紹介されておりました
三津の会式→http://hamasanguu.seesaa.net/article/22613856.html
思い出したように,なんじゃ今頃と旬の外れた話題ですが…
『子供みこし練りだす』
伊勢の二見町三津地区;稲生神社で例大祭
という見出しですわい
なんでも,新聞によりますと
少なくとも寛政年間から続くお祭りだそうで
寛政…,1624年から1643年までの期間を指します
徳川家康が征夷大将軍になって江戸幕府を開くのが,1603年ですねぇ
ちょっと調べたら,寛政14年(1637年)に有名な島原の乱が起こっています
そのころにはすでにあったお祭り
恐るべしです,うむむ〜
三津地区というのは
山田から二見浦へ来る道と
朝熊経由で宇治から二見浦へ来る道が合流するところです
『三津』という名のとおり,港があったらしいです
(今の五十鈴川派川,アリーナ横のゴルフ場近所ににかかる橋の辺りですな)
ここの地区には,なんかしらんオモロいものがあるような…
なんてったて
重要文化財に指定されている薬師如来像
を納めるお寺があるくらいですから…
2006年08月21日
三津の会式…
夏休みが終わりに近づく頃
宿題のアセリとともにやってくるのが
我が地区 三津の会式です
稲生神社の大祭があって
20日の朝から町内にぎやかです
観察隊Mが子どもの頃は
この会式は毎年8月24日
でも5,6年ほど前から
末の日曜日に変わりました
それに女の子は浴衣着て
道中踊りをやってたけど
子ども人数少ないからか
男の子も女の子も神輿に
かわりました
***********
三津の稲生神社のお祭りです
子ども神輿が町内まわります
お天気上天気 太陽カンカンでした・・・
この日はこの飾りがあちこちにたてられます
お祭りやーの気分盛り上がります
まずは神社でお祓い
興玉神社の神職さんだっ
みんなで集合写真
神社の杜は涼しいのです
そして出発
男の子の神輿と
女の子の神輿
軒先には提灯が
みんなのおうちをまわります
ワッショイ ワッショイ
女の子たちに男の子神輿が
抜かれそう
この団扇でかなり心地よい風が
吹きます
ずいぶん助かりました
狭いですからね三津の中の道
ナナメってます 神輿・・・
町内ぐるっとまわって
最後は地区にあるケア施設へ
おじいちゃん
おばあちゃん
玄関に出て待っててくれました
女の子の神輿は軽いから
威勢よく・・・見えません
これが今日三津内をまわった
神輿の全貌!です
かわいい女の子版
きらびやかな男の子版
この日は神社でくじ引きやって
夜は輪踊りにちょっとした出店で
夏の終わりに楽しい一日です
宿題のアセリとともにやってくるのが
我が地区 三津の会式です
稲生神社の大祭があって
20日の朝から町内にぎやかです
観察隊Mが子どもの頃は
この会式は毎年8月24日
でも5,6年ほど前から
末の日曜日に変わりました
それに女の子は浴衣着て
道中踊りをやってたけど
子ども人数少ないからか
男の子も女の子も神輿に
かわりました
稲生神社
二見町三津地区,ちょうどJR二見浦駅の真裏山裾にひっそりとあります。地区の人々には氏神様のような存在で,明治42年に二見町内各地区の氏神様を合祀してできた二見神社(溝口地区)から,昭和23年に分離してまた現在の場所に戻ってます。祭神は宇賀之御塊大神・大山祗大神・応神天皇。(二見町史より抜粋)
***********
三津の稲生神社のお祭りです
子ども神輿が町内まわります
お天気上天気 太陽カンカンでした・・・
この日はこの飾りがあちこちにたてられます
お祭りやーの気分盛り上がります
まずは神社でお祓い
興玉神社の神職さんだっ
みんなで集合写真
神社の杜は涼しいのです
そして出発
男の子の神輿と
女の子の神輿
軒先には提灯が
みんなのおうちをまわります
ワッショイ ワッショイ
女の子たちに男の子神輿が
抜かれそう
この団扇でかなり心地よい風が
吹きます
ずいぶん助かりました
狭いですからね三津の中の道
ナナメってます 神輿・・・
町内ぐるっとまわって
最後は地区にあるケア施設へ
おじいちゃん
おばあちゃん
玄関に出て待っててくれました
女の子の神輿は軽いから
威勢よく・・・見えません
これが今日三津内をまわった
神輿の全貌!です
かわいい女の子版
きらびやかな男の子版
この日は神社でくじ引きやって
夜は輪踊りにちょっとした出店で
夏の終わりに楽しい一日です
2006年08月20日
二見七夕・星まつり開催中です
2006年08月12日
爆弾池…
さて、8月15日は終戦の日です
いきなりなんじゃ?と思われるでしょうが
実は二見に太平洋戦争の痕が人知れず残っております
アメリカ軍が爆撃に来たとき、あまった爆弾を投棄した痕…
地元では『爆弾池』という名前で知られています
***************
「あぶない」みたいですが
ここが噂(?)爆弾池入口
つったか つったか
田んぼの中を
木々の間を
すすんでいくと・・・
発見!爆弾池!!!
結構深そう
(直径10メートルほどのきれいな円形です)
二見クリーンセンターの建物の
裏です
お隣ではこんな感じで
稲が実っております
のどかな風景です
緑の山に
青い空
んっお城・・・
安土桃山城でする
***************
ええっと、ちょっとここで…
伊勢市(当時は宇治山田市)が初めてアメリカ軍の爆撃を受けるのが1945年の1月14日です
1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに全国主要都市への爆撃が本格的になります。地方都市への爆撃が本格化するのは、1945年の6月頃からといわれます
それまで上記のサイトのように単発的な主要都市への爆撃はありましたが、地方都市である宇治山田市への初爆撃は主要都市並みに早かった、といえます
宇治山田市への爆撃、これは、当時の日本の国家的重要地だった『神都』を攻撃することで日本人の戦意を低下させる狙いがあったといわれてます
こういう機会に、戦争や平和や…云々、を考えるのもいいかもしれません
※二見にある爆弾池を形成した爆撃がいつのかは定かではありません。でも、ここには元々田んぼがあって、それは管理人の友人のウチの田んぼでした。友人の祖母はアメリカに田んぼをやられた!とよく怒ってたそうです
いきなりなんじゃ?と思われるでしょうが
実は二見に太平洋戦争の痕が人知れず残っております
アメリカ軍が爆撃に来たとき、あまった爆弾を投棄した痕…
地元では『爆弾池』という名前で知られています
***************
「あぶない」みたいですが
ここが噂(?)爆弾池入口
つったか つったか
田んぼの中を
木々の間を
すすんでいくと・・・
発見!爆弾池!!!
結構深そう
(直径10メートルほどのきれいな円形です)
二見クリーンセンターの建物の
裏です
お隣ではこんな感じで
稲が実っております
のどかな風景です
緑の山に
青い空
んっお城・・・
安土桃山城でする
***************
ええっと、ちょっとここで…
伊勢市(当時は宇治山田市)が初めてアメリカ軍の爆撃を受けるのが1945年の1月14日です
『宇治山田に初空襲。爆弾で外宮の斎館・神楽殿が崩壊、岩渕町、錦水橋付近に被爆、岡本町の宮崎文庫が全壊する』
慶応大・林英一氏調べ『三重県の空襲年表』より
http://web.sfc.keio.ac.jp/~s03747eh/index.html
1945年3月10日の東京大空襲を皮切りに全国主要都市への爆撃が本格的になります。地方都市への爆撃が本格化するのは、1945年の6月頃からといわれます
それまで上記のサイトのように単発的な主要都市への爆撃はありましたが、地方都市である宇治山田市への初爆撃は主要都市並みに早かった、といえます
宇治山田市への爆撃、これは、当時の日本の国家的重要地だった『神都』を攻撃することで日本人の戦意を低下させる狙いがあったといわれてます
こういう機会に、戦争や平和や…云々、を考えるのもいいかもしれません
※二見にある爆弾池を形成した爆撃がいつのかは定かではありません。でも、ここには元々田んぼがあって、それは管理人の友人のウチの田んぼでした。友人の祖母はアメリカに田んぼをやられた!とよく怒ってたそうです
中之町にお木曳車…?
2006年08月11日
夫婦岩の注連縄が…
2006年08月03日
8月1日といえば…
八朔(はっさく)
夏みかんではありませぬ
長い引用になっちゃた…
---------------------------------------------------------------------
伊勢には朔日参りとゆう
風習があります
そして8月1日の八朔には
八朔粟餅を食べて無病息災
元気で過ごそうって美味しい
風習もあるのです
伊勢の老舗の赤福さんへ
行ってきました
おかげ横丁さんでは
午前3時から朝市やってます
フツウ 朝市って
5時とか6時じゃありません?
早すぎっ
でも大にぎわい
(間違いなく寝てます,管理人には…)
(というか,起きられない…?)
そして4時45分赤福開店
これはちなみに3個パックの
八朔餅
こっちにも行列〜
新橋に長蛇の列っ
すし久さんでは毎月
朔日粥が食べれますよ
今回は穴子雑炊 美味
昔は前の晩から場所取りしてた朔日餅
今は整理券制度になっとります
あっ、もちろんお参りも忘れずに…
夏みかんではありませぬ
八朔…陰暦の八月朔日(ついたち)のこと。また、その日に行われる行事。農家ではその年の新穀を日ごろ世話になっている人に贈って祝った。町家でもこの風を受けて互いに贈り物をし、祝賀の意を表した。また、徳川家康がこの日江戸城入りをしたところから、武家の祝日となり、大名・旗本などが白帷子(しろかたびら)で登城し、将軍家に祝辞を述べた。また、江戸吉原では、遊女たちが白無垢(しろむく)の小袖を着て祝った。《季 秋》「八朔や町人ながら京留守居/太祇」
長い引用になっちゃた…
---------------------------------------------------------------------
伊勢には朔日参りとゆう
風習があります
そして8月1日の八朔には
八朔粟餅を食べて無病息災
元気で過ごそうって美味しい
風習もあるのです
伊勢の老舗の赤福さんへ
行ってきました
おかげ横丁さんでは
午前3時から朝市やってます
フツウ 朝市って
5時とか6時じゃありません?
早すぎっ
でも大にぎわい
(間違いなく寝てます,管理人には…)
(というか,起きられない…?)
そして4時45分赤福開店
これはちなみに3個パックの
八朔餅
こっちにも行列〜
新橋に長蛇の列っ
すし久さんでは毎月
朔日粥が食べれますよ
今回は穴子雑炊 美味
昔は前の晩から場所取りしてた朔日餅
今は整理券制度になっとります
あっ、もちろんお参りも忘れずに…
2006年08月02日
7月30日;本日の川曳き
さてさて泣いても笑っても
本日が一年次川曳の最終日
陸に比べるとやっぱ
あっとゆうまでした
4日間ですもんね
外宮・内宮間の参宮街道
奉曳団がトリを飾ります
**************
五十鈴ヶ丘のスタイルは
からし色の法被に笠かぶって
川藻すべり防止のわらじ
(わらじ、本当に有効なんですよ)
(つけてると、ほんま滑んない)
**************
そして古市
鳥居付きです
お札もついてます
紅白の飾りが目出度いです
でもお木のまわりに人影少なし
どこにいるの・・・と思ったら
なんとみなさん古市から
歩いてこられたようで
お囃子に続いて
ぞくぞくと
**************
先頭を行く大湊
背中には「鷲」
鷲が浜の「鷲」です
今日の水もキレイ
透きとおってます
烏帽子岩近くの瀬越え
多くのギャラリーに見守られ
お昼の休憩はチャプチャプ水浴び
**************
そして本日の人だかり
新橋から見るテント周辺に
なんだかガヤガヤ集まる人々
なんだ、なんだ?
うーん
暗くて全然見えないですよね
すみません
でも秋篠宮さまと真子さまが
いらっしゃるのです!
(冷房ダクトが…)
テント向かいで報道陣が
かまえとります
ほら 白いクロスのかかった机に
お二人が!!!
(興奮してもわかんないですよね
すみません)
**************
そしてまた出発地点に戻ったところ
踊りで盛り上げる古市のおばさまたち
お木の出発場で見守ります
やっとスタートしたと思ったら
ココでお昼休憩になりました
(えぇっ?)
午後が長いですね・・・古市
**************
無事 陸に上がった桜ヶ丘
桜の花の装飾に
なんと千木まで
*******
そして本日は水揚げエンヤッの大特集!
今まで宇治橋からは撮ってなく
へばりついて見てただけですが…
まずは中之町
*******
そして菅笠スタイルが
風情ある五十鈴ヶ丘
*******
法被が短め(水揚げチョッキという)古市さん
ほとんどの団は
陸へあがる手前に一息ついて
慎重にいくのですが
なんとなんと陸まで一気に事故なく
曳き上げてくれました
びっくり
お見事!
五十鈴ヶ丘の写真ですが…
陸にあがってからのカーブが
難所なんです
狭いし木も繁ってますし
警備もたくさんおりまして
(緩やかなS字カーブで危ないんです、ほんとに)
一年次最後の最後の心意気を
感じました
みなみなさま
たいへんオツカレサマでしたぁ
来年の浜参宮でまたお会いしませう
(来てくださいね、浜参宮・・・)
(ほんまに来てね)
(こないと、やぁよ)
(?)
=========================================
■7月30日(日)のお木曳き:
大湊町,桜木町,桜ヶ丘,中之町,五十鈴ヶ丘,古市町
(※神宮式年遷宮御木曳一年次最終日)
本日が一年次川曳の最終日
陸に比べるとやっぱ
あっとゆうまでした
4日間ですもんね
外宮・内宮間の参宮街道
奉曳団がトリを飾ります
**************
五十鈴ヶ丘のスタイルは
からし色の法被に笠かぶって
川藻すべり防止のわらじ
(わらじ、本当に有効なんですよ)
(つけてると、ほんま滑んない)
**************
そして古市
鳥居付きです
お札もついてます
紅白の飾りが目出度いです
でもお木のまわりに人影少なし
どこにいるの・・・と思ったら
なんとみなさん古市から
歩いてこられたようで
お囃子に続いて
ぞくぞくと
**************
先頭を行く大湊
背中には「鷲」
鷲が浜の「鷲」です
今日の水もキレイ
透きとおってます
烏帽子岩近くの瀬越え
多くのギャラリーに見守られ
お昼の休憩はチャプチャプ水浴び
**************
そして本日の人だかり
新橋から見るテント周辺に
なんだかガヤガヤ集まる人々
なんだ、なんだ?
うーん
暗くて全然見えないですよね
すみません
でも秋篠宮さまと真子さまが
いらっしゃるのです!
(冷房ダクトが…)
テント向かいで報道陣が
かまえとります
ほら 白いクロスのかかった机に
お二人が!!!
(興奮してもわかんないですよね
すみません)
**************
そしてまた出発地点に戻ったところ
踊りで盛り上げる古市のおばさまたち
お木の出発場で見守ります
やっとスタートしたと思ったら
ココでお昼休憩になりました
(えぇっ?)
午後が長いですね・・・古市
**************
無事 陸に上がった桜ヶ丘
桜の花の装飾に
なんと千木まで
*******
そして本日は水揚げエンヤッの大特集!
今まで宇治橋からは撮ってなく
へばりついて見てただけですが…
まずは中之町
*******
そして菅笠スタイルが
風情ある五十鈴ヶ丘
*******
法被が短め(水揚げチョッキという)古市さん
ほとんどの団は
陸へあがる手前に一息ついて
慎重にいくのですが
なんとなんと陸まで一気に事故なく
曳き上げてくれました
びっくり
お見事!
五十鈴ヶ丘の写真ですが…
陸にあがってからのカーブが
難所なんです
狭いし木も繁ってますし
警備もたくさんおりまして
(緩やかなS字カーブで危ないんです、ほんとに)
一年次最後の最後の心意気を
感じました
みなみなさま
たいへんオツカレサマでしたぁ
来年の浜参宮でまたお会いしませう
(来てくださいね、浜参宮・・・)
(ほんまに来てね)
(こないと、やぁよ)
(?)
=========================================
■7月30日(日)のお木曳き:
大湊町,桜木町,桜ヶ丘,中之町,五十鈴ヶ丘,古市町
(※神宮式年遷宮御木曳一年次最終日)